椋神社

国士の旅
秩父路を往く(九) 椋神社

人皇十二代景行天皇御代、日本武尊東夷征伐のとき、霧が深くて進めず、軍神である猿田彦大神に神慮を請い伊久良と云う地に鉾を立てたところ、光を放って飛翔し井泉の椋の木の下に老翁が出現し、皇子を導いたと云う。
平安期になり俵藤太による平将門討伐の祭、俵藤太が当社に詣で、祈願したことにより将門一門を討つことがかない、俵藤太によって春日四神を合祭され井椋いくら)五所大明神と号していた。
「椋神社」という名の神社は秩父には他にも4社存在するが、吉田の「椋神社」最も知られている。

境内で開催される秋祭付祭の「龍勢祭」龍勢煙火は国の重要無形民俗文化財に指定されており、伝統を受け継ぐ27流派により30本の龍勢が打上げられる。
龍勢と呼ばれる打ち上げ式の煙火は,五穀豊穣や天下泰平等を祈願して奉納する行事である。
明治17年(1884年)10月31日、秩父事件の困民党軍決起の地でもある。

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