大東亜戦争

愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和五年皐月】

靖国神社五月社頭示

続きを読む
忘れてはならない事跡
【二・二六事件】賢崇寺【墓前八十七年祭】

昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十七年となる。
アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。
そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。
年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。
にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。
この状況を座視し続けることは天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのが昭和十一年の所謂二・二六事件である。
その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。  

続きを読む
日本精神
神風特別攻撃隊とは何か【其の五】最後の特攻

昭和20年8月15日、正午の玉音放送は雑音で聴き取りは難しい状況であったが、降伏を知った宇垣中将は自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥拝領の脇差を手に飛行場に向かった。
「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と言い切り出撃した。

続きを読む
烈士巡拝及び墓所清掃
大東塾十四烈士

「自分達が死んでお願い申してこそ神様がお聞き下され、百年後、千年後には必ず必ず神風を吹かせて元の日本にして下さる」との信念を持って地上に霊魂を残され、今でも代々木の地から皇国を見守られているのであろうと思うと感謝の念と無念の思いが交差する。

続きを読む
国士の旅
【明朗会十二烈士女】弔魂七十七年

大東亜戦争敗戦の混乱の時期であった昭和20年8月23日午前、明朗会めいろうかいの会員が宮城前広場で二列縦隊に並んで宮城遥拝きゅうじょうようはい後、11人は短刀で割腹したうえ喉を突いて自決し、それを見届けた日比和一会長も拳銃で自決を遂げた殉国の義挙であった。

続きを読む
忘れてはならない事跡
大東亜戦争敗戦 七十七年を迎え

英米との戦い大東亜戦争に敗れ77年となった。
「大東亜戦争」の呼称は、昭和16年に内閣の閣議決定で定められた正式呼称である。
 大平洋戦争とは、アメリカを中心とした連合国占領軍が強要した呼称という事をご存じだろうか?
 戦争の行われた環太平洋から東及び東南アジアという地域的拡がりの観点と、「白人種」と「有色人種」の対決によりアジアの諸国が独立を勝ち取ったという観点で戦争を観れば大東亜戦争と呼ぶことが正しいのである。

続きを読む
忘れてはならない事跡
民族慟哭の日 ヒロシマ原爆

あの一瞬の火球に飛ばされ灼かれて七十七年目の暑い夏が来た。ヒロシマに原爆が投下され爆発した午前8時15分に、犠牲となられた方々のご冥福を祈り、追悼の意を表するために1分間の黙祷を行った。

続きを読む
日本精神
神風特別攻撃隊とは何か【其の参】特攻第1号

関行男海軍大尉(戦死後2階級特進で中佐)は、大西瀧治郎第一航空艦隊司令長官に直接に任命された「神風特攻第1号」の英霊である。
関海軍大尉は海軍兵学校出身者であった。
当時の海軍では、「海兵」が「予科練」より本流であるといった意識が強かった。海軍は是が非でも「特攻第1号」の名誉を海兵出の関大尉に取らせたかったのではないかと推察する。

続きを読む
政治経済問題
国賊【篠田奈保子】低能恥知らず

ウクライナの何も罪もない善良なる市民に危機が迫っている。大国ロシアによるあまりにも不条理で多くの悲劇を生む軍事侵攻である。
ウクライナに侵攻対し、ロシアを擁護するかのように「世界的にみれば、日本は過去には、今のロシアのように加害者であったし、今はいわゆる前科者です」とほざいた! 

続きを読む