大覚寺統

天皇弥栄
第九十一代天皇【後宇多天皇】

大覚寺統の天皇。中世の賢帝と讃えられた。
亀山天皇第二皇子。母は洞院佶子。
父・亀山天皇が院政を敷き、8歳で天皇に即位。
在位中に、文永の役、弘安の役が勃発。
後深草上皇(持明院統)の巻き返しと幕府の不遜なる意向により、退位させられる。

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第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。

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第百代天皇 後小松天皇 

6歳で第6代北朝天皇に即位し、16歳の時に南朝の後亀山天皇から神器を受け取り南北朝の合一を果たし第百代天皇と成られました。
実際、条件にあった持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となるという「両統迭立」の約束も果たされず、皇統は後小松天皇の系統で受け継がれることとなる。
足利義満の策略により、合一の条件にあった両統迭立の約束も果たされなかった。南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動の武装蜂起をおこしたが、やがて歴史から消える事となった。

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第九十代天皇 亀山天皇

後嵯峨天皇の皇子。母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。后腹では後深草天皇に次ぐ次男。南朝(大覚寺統)の祖。
兄の後深草天皇を差し置いて治天の君となり、亀山系南朝と後深草系北朝(持明院統)による対立が生じる端緒となった。
院政時代に「元寇」。
「身をもって国難に殉ぜむ」という強い決意であった。「増鏡」には、もし日本が侵略されるようなことがあればどうかこの命をお召しください、と筆をとられたことが記されてる。

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後醍醐天皇 第九十六代天皇

この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。

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皇位継承を御考察 其の参【異常事態の中でうまれた女性天皇】

女帝の時代とは具体的には、
【三十三代 推古】から【四十八代 称徳】までの十六代を謂う。 
なんと、十六代中八代(重祚二代)が女帝なのである。 
更に、この十六代(十六世代交代)中、父帝から皇子(みこ)への継承は、明治政府が認定した「天智→弘文」の一継承のみであるが、日本書紀には弘文=大友皇子の即位の記録はない。
実際にはゼロなのだ。

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