日本武尊

国士の旅
秩父路を往く(十) 三峯神社

秩父三峯の宮 三峯神社 御由緒 三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊が伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたのが始まりと伝わる。景行天皇の命により東国平定に遣わされた日本武尊は、甲斐国から知々夫国を経て碓氷峠に向われ […]

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天皇弥栄
第十二代天皇【景行天皇】 

第十二代天皇。景行天皇。垂仁天皇(活目天皇)の第3皇子。日本武尊の父。皇后は播磨稲日大郎姫はりまのいなびのおおいらつめ。
武内宿禰に視察させた東国の蝦夷平定を日本武尊に命じた。

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国士の旅
秩父路を往く(九) 椋神社

人皇十二代景行天皇御代、日本武尊東夷征伐のとき、霧が深くて進めず、軍神である猿田彦大神に神慮を請い伊久良と云う地に鉾を立てたところ、光を放って飛翔し井泉の椋の木の下に老翁が出現し、皇子を導いたと云う。
平安期になり俵藤太による平将門討伐の祭、俵藤太が当社に詣で、祈願したことにより将門一門を討つことがかない、俵藤太によって春日四神を合祭され井椋いくら)五所大明神と号していた。
「椋神社」という名の神社は秩父には他にも4社存在するが、吉田の「椋神社」最も知られている。

境内で開催される秋祭付祭の「龍勢祭」龍勢煙火は国の重要無形民俗文化財に指定されており、伝統を受け継ぐ27流派により30本の龍勢が打上げられる。
龍勢と呼ばれる打ち上げ式の煙火は,五穀豊穣や天下泰平等を祈願して奉納する行事である。
明治17年(1884年)10月31日、秩父事件の困民党軍決起の地でもある。

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国士の旅
秩父路を往く(八) 城峯神社

景行天皇の皇子・日本武尊が東征の折、風光明媚な神山に登り、矢を納めて大山祇命を祀ったことが開創とされており、狼信仰の社としても知られている。
社の御眷属は「巨犬」大口真神とされており、社殿の前には日本武尊にちなむ山犬型の狛犬が控えている。
平安時代、平将門が下総で追討軍との戦いに敗れ、城峯山で再起を図ろうとしたが、愛妾・桔梗の裏切りによって儚い最期を遂げたという伝説があり、山中では今も桔梗の花は咲かないという。
官軍として追って来た藤原秀郷が乱平定後、祭祀を行い「城峯」の号を奉り、その後城峯神社と呼ばれるようになった。

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秩父路を往く(五) 小鹿神社

秩父郡小鹿野町は、平安時代中期に編纂された古辞書「和名類聚抄わみょうるいじゅしょう」に記されている赤平川沿いの段丘地・巨香郷おかのごう)が小鹿野の始まりと伝わる古い歴史を持つ集落である。
秩父盆地の西奥に位置する小鹿野町には鉄道の駅舎がない。
荒川上流域の秩父地方にはオオカミ信仰(神犬信仰)の神社が三峯神社を筆頭に、寳登山神社・両神神社・龍頭神社、城峯神社など21社ある。

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