明治天皇

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道義無き民族は滅ぶ

明治41年(西暦1908年)の今日、明治天皇より「戊申詔書」が発布された。この詔書は天皇を中心とし、皇民一体となり「忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ」ることによって国運を発展させ、欧米列強に伍していく国民のとるべき「道義」を「教育勅語」と並び示すものであった。

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天皇弥栄
明治天皇 第百二十二代天皇

明治天皇 明治天皇御製  よきをとり あしきをすてて 外国(とつくに)に    おとらぬ国と なすよしもがな 明治四十五年七月三十日に崩御 されました。 【御名・御称号・お印】睦(むつ)仁(ひと)・祐宮(さちのみや)・永 […]

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国士の旅
国士巡拝相模【大塔宮護良親王】

北条高時(得宗家当主・第14代執権)の次男勝寿丸(相模次郎時行ときつら)が鎌倉幕府再興のため挙兵(中先代の乱)し、足利義詮よしあきらが治める鎌倉に攻め入った。足利氏の主力部隊は、後醍醐天皇の新政府が、足利氏が鎌倉を拠点に「新幕府」を起こすことを警戒していたため、尊氏とともに京都に留め置かれていた為、万全の防御態勢をとれなかった。

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天皇弥栄
追尊天皇 慶光天皇

第百十三代・東山天皇皇孫、第百十九代・光格天皇御尊父。世襲親王家(東山天皇の皇子直仁親王を祖とする)閑院宮第二代当主、大宰帥。閑院宮直仁親王の第二王子。
第百十八代天皇後桃園天皇が男子を残さないままに崩御したため、典仁親王の第六王子師仁親王が急遽即位した(光格天皇)。
古今伝授伝承者に名を連ねる和歌の名手で、能書家でもあり、短冊などの遺墨が残されている。
天明元年(1781)九月七日、仙洞(後櫻町院)より古今集御傳授。
明治17年、明治天皇の高祖父にあたるということで「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた(追諡)。

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