深草北陵

天皇弥栄
第百代天皇 後小松天皇 

6歳で第6代北朝天皇に即位し、16歳の時に南朝の後亀山天皇から神器を受け取り南北朝の合一を果たし第百代天皇と成られました。
実際、条件にあった持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となるという「両統迭立」の約束も果たされず、皇統は後小松天皇の系統で受け継がれることとなる。
足利義満の策略により、合一の条件にあった両統迭立の約束も果たされなかった。南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動の武装蜂起をおこしたが、やがて歴史から消える事となった。

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天皇弥栄
後土御門天皇 第百三代天皇

即位され、わずか数年で応仁の乱が勃発し都の市街地は大半が焼失した。それに加え痘瘡が流行し大混乱の世情であった。そんな状況でも帝は、朝廷の古来の儀式の復活に熱意を注がれ元日・白馬・踏歌の三節会は再興された。また和歌・連歌をよくし,歌集に「紅塵灰集」「いその玉藻」などがある。
日野富子兄妹等の専横や禁裏領荘園の押領に対し5回もをかんがえたが、足利将軍家に拒否された。
朝廷の困窮は極まり、恐れ多い事ではあるが御遺体が40日も放置されたと伝えられている。

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天皇弥栄
後奈良天皇 第百五代天皇

後柏原天皇の第二皇子。母は勧修寺教秀の女の勧修寺藤子(豊楽門院)。
慈悲深く、天文9年、天下大疫平癒を祈願され心経を写経され、大覚寺と醍醐寺のほか、全国24か国の一宮に納められた。

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