神仏習合

国士の旅
武州古刹歴拝の小旅【其の壱】水宮神社

室町時代に修験道の京都聖護院本山派として創建された「摩訶山般若院」と号した修験寺で、神仏習合が色濃く残る名社・水宮神社を訪ねた。
「摩訶」とは「大きなこと・優れていること」の意味で、「般若」は「大乗仏教の根本思想を説き真理をはっきりと見ることのできる知恵」だという。
明治初年の神仏分離令により社名を水宮神社と改めたそうである。

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忘れてはならない事跡
神仏習合が本来の日本の文化

明治政府が行った愚策の中でも「神仏分離」「廃仏毀釈」は、日本精神の崩壊につながる最大なものであったと小生は思っている。 
「神仏習合は神道の没落であり不浄化であった」「仏僧は、神道を揺さぶって堕落させた」とする純神道への復興の旗印のもと、至高の国家文化遺産である仏像・仏塔・鐘楼・仏具・寺院に加え、豊かに装飾の施された神社をまでもが神道建物の不適格として、「純化」の熱意の為に破壊され、僧侶も激しい弾圧を受け還俗を強制された。
神道の総本山といわれた「吉田神道」をも厳しく批判し、吉田家の特権も廃止された。
「廃仏毀釈」を、支那の文化大革命やイスラム教過激派の遺跡破壊運動という狂気の蛮行と単純に比較は出来ないが、千年数百余年の永きに亘って創り上げられた我が日本固有の伝統文化の徹底的な破壊という低俗な蛮行であった事は間違いない。

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国士の旅
秩父路を往く(参) 竹寺

山岳信仰の道場として千年余の歴史を有した日本的精神の基となった神仏習合の遺構である。
昔の巡礼者は標高640mにある第32番札所の子ノ権現天竜寺から豆口峠を通って、難行の末やっとたどりついたであろうことが想像される鳥居の下の茅の輪をくぐってお参りを…
と言うと神社と思われるが、ここはお寺。本尊も仏様ではなく「牛頭天王」を祀り、本地仏に「薬師如来」を配している。

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