日本国は天皇国であることを知れ!
私は「天皇陛下万歳」を魂の深奥から奉唱する日本人でありたい。神武天皇即位元年(紀元前660年)に神武天皇が大和橿原の地で高き理想を掲げ建國されてから、一度も絶えることも途切れることもなく、神代以来百二十六代万世一系で続く […]
第十七代天皇【履中天皇】
仁徳天皇第一皇子。仁徳31年(343年)1月15日、大兄去来穂別命が8歳で立太子された。仁徳天皇は早くからこの第一皇子を後嗣として決めておられたが、即位は56年後となった。
「記・紀」では、先帝崩御の直後、即位直前に同母弟で第二皇子の住吉仲皇子すみのえのなかつみこによる謀反大逆の「墨江之中津王の乱」が起きたと記されている。
第十七代天皇【履中天皇】
波邇賦坂はにふざか 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群いへむら 妻が家のあたり 【御名】 大兄去来穂別尊おおえいのいざほわけのみこと 去来穂別いざほわけ天皇(日本書紀)【陵所】百舌鳥耳原南陵世系22、即位65歳 […]
第七十七代天皇【後白河天皇】
鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年にわたり治天の君(上皇)として二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代にわたって院政を行った。
平清盛、源頼朝を翻弄した「日本一乃大天狗」と呼ばれた。
東日本大震災から12年
東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生した。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震であった。
マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0であり、本国内観測史上最大規模であり、古今未曾有の「福島第一原子力発電所事故」を引き起こした。
大津波・火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2312名(死者・行方不明者)の方が犠牲となられた。合掌
武州古刹歴拝の小旅【其の壱】水宮神社
室町時代に修験道の京都聖護院本山派として創建された「摩訶山般若院」と号した修験寺で、神仏習合が色濃く残る名社・水宮神社を訪ねた。
「摩訶」とは「大きなこと・優れていること」の意味で、「般若」は「大乗仏教の根本思想を説き真理をはっきりと見ることのできる知恵」だという。
明治初年の神仏分離令により社名を水宮神社と改めたそうである。
関山義人先生祥月御命日
西山廣喜翁と同窓の明治大学法学部卒業(1935)。戦時中、香港総督府関山機関を運営。戦後は三浦義一が主宰する国策社青年部長となり、その後興論社社主となる。中山法華経寺権大僧正。奥州大学(富士大学)学長もつとめた。
第341回アジア文化フォーラム
講師: 田村 重信先生(政治評論家・拓殖大学桂太郎名誉フェ口一・元自由民主党政務調查会調查役)
■日時: 合和5年2月28日(火) 18:30 20:00 講演·質疑
会場 連合会館(402 会議室) 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
主催 アジア文化研究学会
【二・二六事件】賢崇寺【墓前八十七年祭】
昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十七年となる。
アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。
そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。
年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。
にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。
この状況を座視し続けることは天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのが昭和十一年の所謂二・二六事件である。
その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。
西山廣喜先生祥月御命日
昭和維新連盟盟主、西山広喜事務所代表、財団法人日本政治文化研究所理事長、国粋主義雑誌「日本及日本人」社主、昭和の時代までは民族系新聞で唯一の日刊紙であった「やまと新聞」