第六十二代天皇【村上天皇】
元村上天皇御製
都より 雲の八重たつ おく山の
横河の水は すみよかるらん
康保4年5月25日に崩御 されました。
【御名・別称・法名】成明なりあきら・天暦帝・覚貞
【陵所】村上陵
世系39年、21歳、在位22年、宝算42歳。
誕生 926年7月14日(延長4年6月2日)
崩御 967年7月5日(康保4年5月25日)
醍醐天皇の第十四皇子。朱雀天皇には男子がなかったため、十九歳で皇太子となる。
醍醐天皇の延喜に続き村上帝の世も天皇親政が行われ、両治世を聖代として御歴代の天皇は賛美し、又両朝の文化的事績を高く評価する学者や文人により広く一般廷臣の間にまで広まった。
天皇の命により、宮中の梨壺(昭陽舎)に撰(せん)和歌所が設けられて、
別当に藤原伊尹、寄人には源順・清原元輔・大中臣能宣・紀時文・坂上望城に命じ万葉集の訓点(訓読事業)と「後撰集」の撰進に当たらせた。寄人の五人は「梨壺の五人」と呼ばれた。