2022年10月

愛国維新運動
野村秋介大人【祥月御命日】

野村秋介大人追悼二十九年墓前祭.
「口舌の徒が百万回喋っても、人は聞かない。しかし、命をかけて闘えば、勝ち負けは別として、言葉は通ずる。僕は、そういう生き方をしてきた」

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天皇弥栄
第百代天皇 後小松天皇 

6歳で第6代北朝天皇に即位し、16歳の時に南朝の後亀山天皇から神器を受け取り南北朝の合一を果たし第百代天皇と成られました。
実際、条件にあった持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となるという「両統迭立」の約束も果たされず、皇統は後小松天皇の系統で受け継がれることとなる。
足利義満の策略により、合一の条件にあった両統迭立の約束も果たされなかった。南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動の武装蜂起をおこしたが、やがて歴史から消える事となった。

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愛国維新運動
殉国 来島恒喜烈士の墓参

来島恒喜烈士【祥月命日】 来島恒喜烈士は大隈重信外務大臣を暗殺するべく、明治22年10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車ごと爆弾を投げつけ、右足切断の重傷を負わせた。 来島烈士は爆弾が炸裂すると同時に […]

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国士の旅
松本効三(耕三)さん

松本効三先生。享年五十八歳であった。日本青年旭心団副団長・民族革新会議副議長。兵庫県明石出身。
新宿駅前で毎月開催されていた「青空議会」の最も熱心な弁士で多くの庶民のフアンもおり「新宿の名物」の風景でもあった民族派の闘士。若き頃、大変お世話になった大先輩であるが西山の門から離れてお付き合いがなくなりお亡くなられた事も知らずに、犬塚先生からお誘いがなければ墓参りも出来なかった我が身を大いに恥じる。松本さん安らかにお眠りください。合掌

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会員投稿
道義無き民族は滅ぶ

明治41年(西暦1908年)の今日、明治天皇より「戊申詔書」が発布された。この詔書は天皇を中心とし、皇民一体となり「忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ」ることによって国運を発展させ、欧米列強に伍していく国民のとるべき「道義」を「教育勅語」と並び示すものであった。

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名所旧跡
俳聖【松尾芭蕉】

滋賀大津の義仲寺という名刹が芭蕉の永眠の地。
大東亜大戦後、荒廃壊滅に瀕していた義仲寺の復興に尽力したのが我が一門の先師である三浦義一翁である。
義仲寺には、名の由来のとおり朝日将軍 源義仲・巴御前・山吹御前と彼を熱烈にを慕った芭蕉と共に昭和の文人 保田與重郎と三浦義一翁も眠っている。

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勉強会・講演会
「博友会」令和4年10月

「博友会」宗教と政治 コロナ騒動が一休みされる中、9か月ぶりに「博友会」が開催された。 『文藝春秋』10月号で「統一教会と創価学会」が特集された。 巻頭で「政教分離から暗黒史、安倍国葬まで語りつくす」という25頁の大特集 […]

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愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和四年神無月】

皇紀二千六百八十二年 靖國神社清掃奉仕 令和4年10月靖國神社清掃奉仕活動報告 靖國神社について 靖國神社やすくにじんじゃは九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人・軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。境内 […]

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天皇弥栄
第三十四代天皇 舒明天皇 

推古天皇元年御誕生
舒明天皇十三年十一月十七日崩御
父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、(田村皇女)。
推古天皇の没後、蘇我蝦夷は山背大兄王(聖徳太子遺児)と対立し、闘争に勝ち田村皇子の即位を実現した。
天皇は姪にあたる宝皇女(のち皇極・斉明天皇)を皇后として葛城皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇皇后)・大海人皇子(天武天皇)を儲け、蘇我馬子の娘法提郎媛を夫人として古人大兄皇子を生み、吉備の蚊屋采女に蚊屋皇子を生ませた。
在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受け、百済と新羅からの使節も訪れた。

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忘れてはならない事跡
維新前夜の英傑たち

吉田松陰は伝馬町牢内でその死を知り、
「左内と半面の識なきを嘆ず」とその死を惜しんだ。
奄美大島で隠遁中の南洲翁は、左内とはその死を知り、
「橋本まで死刑に逢い候儀案外、悲憤千万堪え難き時世に御座候」刑死を怒り悲しみ嘆いた。 
西南戦争で敗れ、城山の地で自刃した南洲翁が携帯していた革文庫の中に、左内からの南洲翁宛の手紙が収められていた。

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