国士の旅

国士の旅
武州古刹歴拝の小旅【其の壱】水宮神社

室町時代に修験道の京都聖護院本山派として創建された「摩訶山般若院」と号した修験寺で、神仏習合が色濃く残る名社・水宮神社を訪ねた。
「摩訶」とは「大きなこと・優れていること」の意味で、「般若」は「大乗仏教の根本思想を説き真理をはっきりと見ることのできる知恵」だという。
明治初年の神仏分離令により社名を水宮神社と改めたそうである。

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維新者・愛国者
関山義人先生祥月御命日

西山廣喜翁と同窓の明治大学法学部卒業(1935)。戦時中、香港総督府関山機関を運営。戦後は三浦義一が主宰する国策社青年部長となり、その後興論社社主となる。中山法華経寺権大僧正。奥州大学(富士大学)学長もつとめた。

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国士の旅
昭和天皇【武蔵野陵】参拝

ご平癒を願う国民の祈りも空しく、昭和天皇陛下は、昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、八十七歳のご生涯を静かに閉じられた。

昭和天皇陛下が御崩御あそばされてから34年となる。

今年も、昭和天皇 武蔵野陵へ参拝した。

武蔵陵は都内唯一の皇室墓地であり、大正天皇の御陵である多摩陵・貞明皇后の多摩東陵・昭和天皇・香淳皇后の武藏野東陵の4つの御陵がある。

京都から取り寄せたという北山杉が立ち並ぶ荘厳な空間が広がり、玉砂利が敷き詰められた参道を進み武藏野陵に向かい参拝させて頂いた。

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国士の旅
秩父路を往く(十壱) 岩崎神社と天狗岩

吉田阿熊に鎮座するこの社は、城峯山に立て籠もった平将門公を討ち取った藤原秀郷が伊豆の三島大社を勧請したと伝えられている。

社名の「岩崎」とは、城峰山にたてこもった平将門を滅ぼした藤原秀郷が、伊豆の三島神社を勧請したことに始まるといわれ、その社名については、秀郷が城峰山を射た矢が落ちた場所を意味する「矢崎(やさき)」が転訛して「岩崎」になったと伝えられている。

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国士の旅
秩父路を往く(十) 三峯神社

秩父三峯の宮 三峯神社 御由緒 三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊が伊弉諾尊・伊弉册尊をお祀りしたのが始まりと伝わる。景行天皇の命により東国平定に遣わされた日本武尊は、甲斐国から知々夫国を経て碓氷峠に向われ […]

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国士巡拝陸奥【霊山神社】 

別格官幣社 霊山神社 皇室の御崇敬が厚いと言われ、明治14年、建武の中興に尽力した功績により、陸奥国府のあった霊山の地に祀られ、別格官幣社となった。 北畠顯家卿は陸奥大介となり、弟・北畠顯信卿は陸奥介、甥の北畠守親卿は陸 […]

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国士の旅
国士巡拝陸奥【福島縣護國神社】

信夫山山麓に鎮座する護国神社で、戊辰戦争から第二次世界大戦までの殉死者6万8千5百余柱を祀っている。御祭神は、「護國の御英霊」「天照大御神」
信夫山は東から熊野山・羽黒山・羽山の三峰で構成され信夫三山と呼ばれ古代から山岳信仰の山である。

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烈士巡拝及び墓所清掃
山口二矢烈士祥月命日

皇紀二六八十二年十一月二日。                                               本日は山口二矢烈士 没後六十二年忌の御命日である。 社会党委員長浅沼稲次郎を昭和三十五年十月十二日 […]

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愛国維新運動
野村秋介大人【祥月御命日】

野村秋介大人追悼二十九年墓前祭.
「口舌の徒が百万回喋っても、人は聞かない。しかし、命をかけて闘えば、勝ち負けは別として、言葉は通ずる。僕は、そういう生き方をしてきた」

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国士の旅
松本効三(耕三)さん

松本効三先生。享年五十八歳であった。日本青年旭心団副団長・民族革新会議副議長。兵庫県明石出身。
新宿駅前で毎月開催されていた「青空議会」の最も熱心な弁士で多くの庶民のフアンもおり「新宿の名物」の風景でもあった民族派の闘士。若き頃、大変お世話になった大先輩であるが西山の門から離れてお付き合いがなくなりお亡くなられた事も知らずに、犬塚先生からお誘いがなければ墓参りも出来なかった我が身を大いに恥じる。松本さん安らかにお眠りください。合掌

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