光明天皇【北朝第二代天皇】

光明天皇【北朝第二代天皇】

光明天皇 北朝第二代天皇

光明天皇御製

 ふりつみし雪も消けなくに深山邊も

   春し來ぬれや梅咲きにけり

康暦2年6月24日に崩御 されました。

【御名・法名】豊仁ゆたひと・真常恵
【陵所】大光明寺陵
即位16歳、在位13年、宝算60歳。
誕生 1322年1月11日(元亨元年12月23日)
崩御 1380年7月26日(康暦2年6月24日)
即位によって北朝が成立したので北朝最初の天皇ということになるが、歴代天皇126代の内には含まれず北朝二代とされる。
後伏見天皇第九皇子。光厳天皇御舎弟宮。
足利尊氏が湊川の戦いで宮方に勝利し、後醍醐天皇は比叡山延暦寺に逃走。後醍醐天皇が退位せぬまま、尊氏から治天の君に推戴された光厳上皇の院宣により8月15日に即位された。

貞和四年(一三四八)十月これに皇位を譲って上皇となられた。早くから仏教を信じ、夢窓疎石に帰依したが、正平六年(一三五一)十一月尊氏・義詮父子が南朝に降伏し、北朝が停廃ちょうはいされるに及び、その十二月にわかに落飾して仏門に入り、法号を真常恵と称した。