日本精神

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神風特別攻撃隊とは何か【其の六】知覧特別攻撃隊を知る

神風特別攻撃隊とは何か【知覧特別攻撃隊を知る】 知覧特攻平和会館 昨年、友である鈴木誠厳氏から鹿児島に慰霊の旅のお誘いを頂き、生涯忘れ得ない思い出の旅となりました。今まで「神風特別攻撃隊を全ての日本人が忘れてはならない」 […]

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忘れてはならない事跡
維新前夜の英傑たち

吉田松陰は伝馬町牢内でその死を知り、
「左内と半面の識なきを嘆ず」とその死を惜しんだ。
奄美大島で隠遁中の南洲翁は、左内とはその死を知り、
「橋本まで死刑に逢い候儀案外、悲憤千万堪え難き時世に御座候」刑死を怒り悲しみ嘆いた。 
西南戦争で敗れ、城山の地で自刃した南洲翁が携帯していた革文庫の中に、左内からの南洲翁宛の手紙が収められていた。

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日本精神
頭山満先生

昭和19年(1944年)の本日は、国士「頭山満」先生がお亡くなりになった日である。
頭山翁は、明治・大正・昭和期に活躍した在野の国士である。
勤王・自由民権・条約改正と様々な運動を先導され、理を語るのみの思想家たることを潔しとせず、徹底した行動の巨人である。
国家主義者であり、大アジア主義を唱え、植民地の圧政に苦しむアジア諸民族の独立運動に寄与した。

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国士の旅
お盆の愛国者墓所清掃・参拝報告

お盆の憂国烈士墓所清掃・参拝報告 毎年恒例で行っている盂蘭盆の季節に国の為に命を捧げられた殉国の国士の方々に感謝の誠と鎮魂の祈りを捧げる為に墓所清掃及び参拝を行っている。 毎年1日で周っているのだが、今年は時間の空いてい […]

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神風特別攻撃隊とは何か【其の五】最後の特攻

昭和20年8月15日、正午の玉音放送は雑音で聴き取りは難しい状況であったが、降伏を知った宇垣中将は自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥拝領の脇差を手に飛行場に向かった。
「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と言い切り出撃した。

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忘れてはならない事跡
尊攘義軍十二烈士女 七十七年祭

昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ
転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応
天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士
しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す
時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず

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勉強会・講演会
神風特別攻撃隊とは何か【其の四】特攻第0号

公式には関行男大尉が大東亜戦争に於いての「特攻第一号」とされている。
大戦中の日本国内で新聞や映画ニュース等により戦争の英雄として大きく報じられた。
しかし、神風特別攻撃隊の出撃記録をチェックすると、この話には疑義が残る。
連合艦隊布告の「特攻一号」は関行男大尉、「特攻0号」は久納好孚中尉と言われている事だ?
関行男大尉率いる敷島隊出撃が、昭和19年10月25日10時45分。
セブ基地から大和隊の久納中尉が出撃したのは10月21日。

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“義 戦” 台湾を救った陸軍中将「根本博」 

“義戦”台湾を救った根本博中将 本日6月26日(昭和24年)は、義の為に支那の民を救うため根本博将軍が、家族に「釣りに行ってくる」とだけ言い残し台湾へ密航した日である。根本将軍は蔣介石との約束を守り台湾軍の将軍となり赤色 […]

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神風特別攻撃隊とは何か【其の参】特攻第1号

関行男海軍大尉(戦死後2階級特進で中佐)は、大西瀧治郎第一航空艦隊司令長官に直接に任命された「神風特攻第1号」の英霊である。
関海軍大尉は海軍兵学校出身者であった。
当時の海軍では、「海兵」が「予科練」より本流であるといった意識が強かった。海軍は是が非でも「特攻第1号」の名誉を海兵出の関大尉に取らせたかったのではないかと推察する。

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神風特別攻撃隊とは何か【其の弐】大西瀧治郞中将

昭和20年8月16日、大西瀧治郎中将は「・・・深謝す」と書き遺して自刃した。
大西中将は神風特別攻撃隊による作戦を企図し、それを指揮した。
特別攻撃隊創始者のひとりである事は間違いない。
大西中将も特攻作戦を「統率の外道」とも評しながらも、何故数多の若者に死を命じなければならなかったのか。「総意の実行者」ではあったのだ。

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