維新者・愛国者

維新者・愛国者
関山義人先生祥月御命日

西山廣喜翁と同窓の明治大学法学部卒業(1935)。戦時中、香港総督府関山機関を運営。戦後は三浦義一が主宰する国策社青年部長となり、その後興論社社主となる。中山法華経寺権大僧正。奥州大学(富士大学)学長もつとめた。

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烈士巡拝及び墓所清掃
山口二矢烈士祥月命日

皇紀二六八十二年十一月二日。                                               本日は山口二矢烈士 没後六十二年忌の御命日である。 社会党委員長浅沼稲次郎を昭和三十五年十月十二日 […]

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愛国維新運動
野村秋介大人【祥月御命日】

野村秋介大人追悼二十九年墓前祭.
「口舌の徒が百万回喋っても、人は聞かない。しかし、命をかけて闘えば、勝ち負けは別として、言葉は通ずる。僕は、そういう生き方をしてきた」

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国士の旅
松本効三(耕三)さん

松本効三先生。享年五十八歳であった。日本青年旭心団副団長・民族革新会議副議長。兵庫県明石出身。
新宿駅前で毎月開催されていた「青空議会」の最も熱心な弁士で多くの庶民のフアンもおり「新宿の名物」の風景でもあった民族派の闘士。若き頃、大変お世話になった大先輩であるが西山の門から離れてお付き合いがなくなりお亡くなられた事も知らずに、犬塚先生からお誘いがなければ墓参りも出来なかった我が身を大いに恥じる。松本さん安らかにお眠りください。合掌

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国士の旅
お盆の愛国者墓所清掃・参拝報告

お盆の憂国烈士墓所清掃・参拝報告 毎年恒例で行っている盂蘭盆の季節に国の為に命を捧げられた殉国の国士の方々に感謝の誠と鎮魂の祈りを捧げる為に墓所清掃及び参拝を行っている。 毎年1日で周っているのだが、今年は時間の空いてい […]

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国士の旅
【明朗会十二烈士女】弔魂七十七年

大東亜戦争敗戦の混乱の時期であった昭和20年8月23日午前、明朗会めいろうかいの会員が宮城前広場で二列縦隊に並んで宮城遥拝きゅうじょうようはい後、11人は短刀で割腹したうえ喉を突いて自決し、それを見届けた日比和一会長も拳銃で自決を遂げた殉国の義挙であった。

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国士の旅
高山彦九郎先生所縁の地を訪ねて

幕末、維新の志士達に大きな影響を与えた、尊皇運動の先駆者である高山彦九郎先生。
彦九郎翁は、自らの尊皇思想を練り上げ、日本中に皇権復活「建武未遂の偉業の完遂」と復古神道の精神(日本民族固有の精神)を伝播した維新魁の志士である。
寛政2年、江戸滞在中の彦九郎翁は奥羽・蝦夷地を単身訪ねる決心をし、房総から津軽三厩を目指す長い旅にでた。途中、水戸で藤田幽谷・立原翠軒・木村謙次等と、米沢では莅戸太華等と、仙台では林子平と、各地で多くの人々と対談している。津軽に至りはしたが、海峡越えは難しく蝦夷地を断念し、光格天皇の新皇居還幸の儀式見学の為、京に急行した。そして、師走に京の地に舞戻った彦九郎翁に人生最大の喜びの時が訪れたのである。草莽一介の身を以て、その名が今上天皇の叡聞に達するを聞き、感激は頂点に達したのであった。

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維新者・愛国者
尊皇攘夷桜田義士・佐久良東雄先生

君がため朝露ふみてゆく道は たふとくうれしく悲しくありけり、  
天皇に仕へまつれと我を生みし 我がたらちねぞ尊かりける、
「勤王家中第一の歌人」と賞賛された尊皇攘夷桜田義士・佐久良東雄先生、桜田門の変に際し大坂で高橋多一郎をかくまい上方で捕縛後、護送された伝馬町牢獄で無念の中で獄死、

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国士の旅
葦津珍彦翁【祥月御命日】

日本の思想家の中で、もっとも敬愛する一人が葦津珍彦翁である。神道思想家であり民族派行動者であった葦津翁は、「神道・天皇の弁護士」を自認されていた。
大東亜戦争敗戦により連合軍GHQに占領された我が日本は、建国以来最大に危機に瀕した。悪意ある白人レイシスト共は、国家神道をファシズム的国教と決めつけ、徹底的に弾圧を加えてきた。
更には、天皇をも危うい空気の中で、徹底して「国体護持」の活動に尽力された隠れた英雄が葦津翁なのである。

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維新者・愛国者
沼山光洋烈士【殉節日】

腐りきったマスコミが無視する中、沼山光洋烈士の靖国の忠霊(英霊を沼山烈士はこう呼んでいた)と大楠公の精神に対する実践と思い、靖國神社への御親拝を願う切実なる真心、そして日本及び日本人に命を賭しての諫言を一人でも多くの日本人に正しく伝えるために沼山烈士が残した最後の言葉。天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄を御祈念申し上げます。

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