忘れてはならない事跡
東日本大震災から12年
東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生した。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震であった。
マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0であり、本国内観測史上最大規模であり、古今未曾有の「福島第一原子力発電所事故」を引き起こした。
大津波・火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2312名(死者・行方不明者)の方が犠牲となられた。合掌
【二・二六事件】賢崇寺【墓前八十七年祭】
昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十七年となる。
アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。
そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。
年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。
にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。
この状況を座視し続けることは天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのが昭和十一年の所謂二・二六事件である。
その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。
三島由紀夫大人命・森田必勝大人命 両烈士五十二年墓前祭
三島由紀夫烈土命 森田必勝烈士命 五十二年祭(日輪祭) 十一月二十五日は、三島由紀夫大人命 森田必勝大人命の祥月御命日である。 昭和四十五年十一月二十五日市ヶ谷台上にて、三島由紀夫烈士、森田必勝烈士が壮烈なる諌死を遂げら […]
神仏習合が本来の日本の文化
明治政府が行った愚策の中でも「神仏分離」「廃仏毀釈」は、日本精神の崩壊につながる最大なものであったと小生は思っている。
「神仏習合は神道の没落であり不浄化であった」「仏僧は、神道を揺さぶって堕落させた」とする純神道への復興の旗印のもと、至高の国家文化遺産である仏像・仏塔・鐘楼・仏具・寺院に加え、豊かに装飾の施された神社をまでもが神道建物の不適格として、「純化」の熱意の為に破壊され、僧侶も激しい弾圧を受け還俗を強制された。
神道の総本山といわれた「吉田神道」をも厳しく批判し、吉田家の特権も廃止された。
「廃仏毀釈」を、支那の文化大革命やイスラム教過激派の遺跡破壊運動という狂気の蛮行と単純に比較は出来ないが、千年数百余年の永きに亘って創り上げられた我が日本固有の伝統文化の徹底的な破壊という低俗な蛮行であった事は間違いない。
尊攘義軍十二烈士女 七十七年祭
昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ
転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応
天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士
しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す
時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず
英雄 チャンドラ・ボース
インド独立の英雄 ネタジ-スバス・チャンドラ・ボース (Netāji Subhas Chandra Bose、नेताजी সুভাষচন্দ্র বসু )※ネタジ(指導者の敬称で呼ばれる) 本日は、インド独立運動の闘 […]
大東亜戦争敗戦 七十七年を迎え
英米との戦い大東亜戦争に敗れ77年となった。
「大東亜戦争」の呼称は、昭和16年に内閣の閣議決定で定められた正式呼称である。
大平洋戦争とは、アメリカを中心とした連合国占領軍が強要した呼称という事をご存じだろうか?
戦争の行われた環太平洋から東及び東南アジアという地域的拡がりの観点と、「白人種」と「有色人種」の対決によりアジアの諸国が独立を勝ち取ったという観点で戦争を観れば大東亜戦争と呼ぶことが正しいのである。