国士巡拝武蔵【諸嶽山總持寺】 

国士の旅【總持寺】大西瀧治郎閣下墓参

曹洞宗大本山「諸嶽山總持寺」

本日、6月2日は閣下の生誕の日でもある。
昭和20(1945)年8月16日未明、特攻で戦死させた将兵に陳謝し、英霊と遺族への償いの為、腹を十文字に切って喉を突き、なるべく苦しんで死ぬようにと介錯を断り、自らの血の海で半日以上も悶えた末に絶命された。
自ら特攻に出撃した宇垣 纒海軍中将以外も、多くの指揮官はその後、残りの一生をかけて贖罪された方が多いと伝え聞く。

敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花 宣長

総持寺 大西瀧治郎之墓所 従三位勲二等功三級 海軍中将
総持寺 大西瀧治郎墓所 墓標の左脇に置かれているのが「海鷲観音」
総持寺 大西瀧治郎墓所 2000年に建立された「遺書の碑」
総持寺 大西瀧治郎墓所 親友一同による「大西瀧治郎君の碑」
総持寺 大西瀧治郎墓所参拝
総持寺 大西瀧治郎墓所

曹洞宗大本山「諸嶽山總持寺」

曹洞宗の御本尊は「お釈迦さま」である。
お釈迦様の教えを日本に広めたのは「道元禅師」。
曹洞宗は総本山のお寺が2つあり、この総持寺と福井県にある永平寺を両大本山と呼んでいる。
総持寺を建てて教えを全国に広めたのは「瑩山禅師」。
道元を「高祖」、瑩山を「太祖」と呼びこの二人を「両祖」と呼び、「一仏両祖」としてお祀りしている。
礼拝は、「南無釈迦牟尼仏」。
全国に約1万5千の法系寺院があり、檀信徒は1,200万人と言っている。
總持寺は、禅苑として国際的な禅の根本道場として偉容を誇っている。

曹洞宗大本山「諸嶽山總持寺」参道の寺号標
曹洞宗大本山「諸嶽山總持寺 コロナ退散の祈念
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺長い石畳の参道
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 瑩山禅師(中央)と二人の弟子の像
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 大祖堂
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 大祖堂
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 大祖堂
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 鋼製大灯籠
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 三門
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 中雀門
雲水群像 雲の行くまま、水の流るるままの拓鉢遍路をして精進する僧を雲水と呼ぶ
曹洞宗大本山 諸嶽山總持寺 六道能化の地蔵菩薩
曹洞宗大本山諸嶽山總持寺「胸なりて われ踏みがたし 氷より. すめる大雄宝殿の床」与謝野晶子の歌碑
総持寺 立憲旧友幽明会建立の「自由党追遠碑」西園寺公揮毫

總持寺に眠る著名人は大西閣下の他、
石原裕次郎により、一躍檀信徒以外にも知られ以後毎年節分会での豆まきには石原軍団が参加するのが恒例になっていった。
第23代内閣総理大臣・清浦奎吾 (中央ニ1−27)
第47代内閣総理大臣・芦田 均(新跳左11-2-4)
幸徳秋水と共に「共産党宣言」を翻訳した社会主義者・堺 利彦(中央二5-24)
セメント王と呼ばれた浅野財閥創業者の浅野總一郎(中央ハ6)
三井財閥の大番頭・益田 孝(五院左1-1-2)
昭和音楽界を代表した音楽家・黛 敏郎
長州藩士で第一次桂内閣内務大臣・内海 忠勝
初代駐フランス特命全権大使・栗野 慎一郎
大正時代の詩人・北村 初雄(中央ホ7-17)
巨人・中日・東映フライヤーズ監督歴任・水原 茂(右10-6)
吉田茂の側近で吉田内閣農相・広川 弘禅
神刀流開祖 天下無敵 日比野雷風
さすが天下の総本山である。

総持寺 石原裕次郎墓所
総持寺 石原裕次郎墓所
曹洞宗大本山「諸嶽山總持寺」寺号標