神風特別攻撃隊とは何か【其の弐】大西瀧治郞中将
神風特別攻撃隊とは何か 大西瀧治郞中将
特攻隊の英霊に曰す 善く戦ひたり深謝す
昭和20年8月16日、大西瀧治郎中将は「・・・深謝す」と書き遺して自刃した。
大西中将は神風特別攻撃隊による作戦を企図し、それを指揮した。
特別攻撃隊創始者のひとりである事は間違いない。
大西中将も特攻作戦を「統率の外道」とも評しながらも、何故数多の若者に死を命じなければならなかったのか。
今、色々な資料を読むと大西中将に全責任を負わすのは如何なものかと疑念を抱く。
半藤一利氏も特攻隊作戦史実分析のなかで、「大西さんは、発案者でも何でもなく、むしろ海軍中央の総意の実行者だったのです」(「昭和史」平凡社)と断じている。積極的な海軍中央関与説は多くの研究者もしている。
つまりは、「総意の実行者」ではあったのだ。
言い訳せず黙して自決し、隊員との約束を果たした指揮官として称賛されるべきであると思考する処である。
現代人に欠ける精神とは、
特攻精神は現代人が無くしてしまった大切な日本人の心根ではないのか?
親兄弟・妻子を守り、日本の国体である天皇陛下を御守りすると云う大義に生きる為に、我が身を捨てる。
それが滅私殉国の特攻精神なのではないかと愚考する所である。
生まれ育った愛する故郷や国を守る想い・意志・魂を、どの様に今の人達に伝えればよいのか、その方法を考え皆様方にも教えを乞う次第である。
遺書特攻隊の英霊に曰す善く戦ひたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり
然れども其の信念は遂に達成し得ざるに至れり
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するのい誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ
諸子は国の宝なり平時に処し猶ほ克く
特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の平和の為最善を盡くせよ
海軍中将大西瀧治郞
之でよし百萬年の假寝かな
お前だけを決して死なせない。俺もあとから必ずいく、と特攻隊員を送りだした責任者としての自決者は、大西中将と宇垣纏中将の二人だけと云う事になるが、他の送りだした責任者は全ての責任を二人に押しつけた事は誠に残念な事である。
悪党
大西 瀧治郎(1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(現丹波市)出身。海軍兵学校第40期生。日露戦争の「軍神」広瀬武夫に憧れて海軍を志し、海軍兵学校を経て海軍に入り、イギリスへ留学後、海軍航空隊の養成に努めた。