吉田松陰は伝馬町牢内でその死を知り、 「左内と半面の識なきを嘆ず」とその死を惜しんだ。 奄美大島で隠遁中の南洲翁は、左内とはその死を知り、 「橋本まで死刑に逢い候儀案外、悲憤千万堪え難き時世に御座候」刑死を怒り悲しみ嘆いた。 西南戦争で敗れ、城山の地で自刃した南洲翁が携帯していた革文庫の中に、左内からの南洲翁宛の手紙が収められていた。