後土御門天皇

天皇弥栄
後土御門天皇 第百三代天皇

即位され、わずか数年で応仁の乱が勃発し都の市街地は大半が焼失した。それに加え痘瘡が流行し大混乱の世情であった。そんな状況でも帝は、朝廷の古来の儀式の復活に熱意を注がれ元日・白馬・踏歌の三節会は再興された。また和歌・連歌をよくし,歌集に「紅塵灰集」「いその玉藻」などがある。
日野富子兄妹等の専横や禁裏領荘園の押領に対し5回もをかんがえたが、足利将軍家に拒否された。
朝廷の困窮は極まり、恐れ多い事ではあるが御遺体が40日も放置されたと伝えられている。

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