後土御門天皇 第百三代天皇

後土御門天皇

第百三代天皇【後土御門天皇】深草北陵
第百三代天皇【後土御門天皇】深草北陵

後土御門ごつちみかど天皇御製

 ともすれば なみだの玉の 數數かずかず

   むかしをしのぶ 我がこころかな

明応9年9月29日に崩御 されました。

【諡・御名】成仁ふさひと
【陵所】深草北陵ふかくさのきたのみささぎ  般舟院はんじゅういん陵(分骨所)

即位23歳、在位37年、宝算59歳。
誕生 1442年7月3日(嘉吉2年5月25日)

崩御 1500年10月21日(明応9年9月29日)
後花園天皇の皇子。
即位され、わずか数年で「応仁の乱」が勃発し都の市街地は大半が焼失した。

それに加え痘瘡が流行し大混乱の世情であった。そんな状況でも帝は、朝廷の古来の儀式の復活に熱意を注がれ元日・白馬・踏歌の三節会は再興された。

また和歌・連歌をよくし,歌集に「紅塵灰集」「いその玉藻」などがある。
日野富子兄妹等の専横や禁裏領荘園の押領に対し5回もをかんがえたが、足利将軍家に拒否された。
朝廷の困窮は極まり、恐れ多い事ではあるが御遺体が40日も放置されたと伝えられている。