順徳天皇 第八十四代天皇 

順徳天皇

第八十四代天皇 順徳天皇

順徳天皇御製

 都をば さすらひ出でて 今宵しも
   うきに名立の 月をみるかな

仁治3年9月12日に崩御 されました。

【御名・別称】守成もりなり・佐渡院 
【陵所】大原陵おおはらのみささぎ・真野御陵(順徳天皇御火葬塚)
即位13歳、在位12年、宝算46歳。
誕生 1197年10月22日(建久8年9月10日)
崩御 1242年10月7日(仁治3年9月12日)

後鳥羽帝の第二皇子。土御門帝の御弟君。

帝は仲恭天皇に譲位し、後鳥羽帝と共に鎌倉幕府討幕計画された。しかし、北条政子を中心とした幕府側の圧倒的軍事力の前に事破れ、「承久の難」は幕府方の勝利に帰した。
恐れ多い事に仲恭天皇が廃位された。守貞親王もりさだしんのう後高倉法皇ごたかくらほうおう)が異例の太上天皇号を奉られ院政を行わられ、第三皇子の後堀河天皇ごほりかわてんのう)を即位させられた。
後鳥羽上皇は隠岐に、土御門上皇は土佐(後に阿波国へ移される)に、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された。