第八十二代天皇【後鳥羽天皇】

【後鳥羽天皇】第八十二代天皇

第八十二代天皇 後鳥羽院像(伝藤原信実筆、水無瀬神宮蔵)

 吹く風も をさまれる世の うれしきは

  花みる時ぞ まづおぼえける

【御名・漢風諡号・別称】尊成たかひら・顕徳院・隠岐院
【陵所】大原陵、隠岐海士町陵(火葬塚)
世系31、即位47歳、在位9年、宝算61歳。
誕生 治承4年7月14日(1180年)
崩御 延応元年2月22日( 1239年)

文武両道に秀で、文化芸術を愛した多才ぶりを発揮した後鳥羽天皇。

和歌の三大集の一つである「新古今和歌集」を藤原定家に命じ編纂されました。新古今和歌集に代表される歌風や歌調は、その後の和歌の作風に大きな影響を与え「新古今調」と呼ばれています。

19歳という若さで第一皇子の「土御門天皇」に譲位し、後鳥羽上皇となります。その後、「順徳天皇」、「仲恭天皇」と3代23年間に亘って院政を敷きました。

1221年、鎌倉幕府の倒幕の企て(承久の乱)が失敗して隠岐に流され、延応元年2月22日、都への帰還の夢はついに叶わず、無念の中ひっそりと崩御されました。