西山廣喜先生祥月御命日

西山広喜先生と先代柴田総隊長

西山廣喜(にしやま こうき)
1923年 ~ 2005年2月24日(享年81歳)

昭和維新連盟盟主、西山広喜事務所代表、財団法人日本政治文化研究所理事長、国粋主義雑誌「日本及日本人」社主、昭和の時代までは民族系新聞で唯一の日刊紙であった「やまと新聞」社主。

財団法人日本政治文化研究所は、近衛文麿このえ ふみまろが創設した昭和研究会を前身とする。所在地は日比谷公園を望む富国生命ビルにあった。

西山廣喜先生祥月命日【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生祥月命日【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生祥月命日【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生御舎弟巌先生墓所【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生御舎弟巌先生墓所【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生御舎弟巌先生墓所【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】
西山廣喜先生御舎弟巌先生墓所【曹洞宗諏訪山吉祥寺墓参】

曹洞宗諏訪山吉祥寺

吉祥寺きちじょうじは、曹洞宗の寺院で山号は諏訪山。
群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺にあたる。

吉祥寺は、学業成就・縁結びの寺と呼ばれ、訪れる参詣者が多い。

室町時代1458年(長禄2年)に太田持資(太田道灌)の開基で江戸城内に青巌周陽を開山に招いて創建した。道灌は、江戸城築城に際し和田倉付近の井戸を掘ったところ「吉祥増上」と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に吉祥庵を建立した。 山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによる。

戦国時代には古河公方足利義氏の実母で北条氏綱の娘でもある芳春院の位牌が安置されていたという。

徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校の周辺)に移り、明暦3年(1657)明暦の大火によって現在の駒込の地に移転した。
関東における曹洞宗の宗門随一の旃檀林せんだんりんがおかれ、多くの学僧が学んだ。
旃檀林は、後の駒澤大学となる学寮で、幕府の学問所昌平黌しょうへいこうと並んで漢学の一大研究地となった。

戦前までは大伽藍を誇ったが、大東亜戦争の空襲によって蔵と山門以外のほとんどが焼失し、今日では山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)だけが往時をしのばせている。

本駒込にある町中華の名店兆徳で直会