醍醐天皇 第六十代天皇

醍醐天皇

醍醐天皇 第六十代天皇

醍醐天皇

 祝ひつる 言霊ならば 百歳ももとせ

   後もつきせぬ 月をこそ見め

延長8年9月29日に崩御 されました。

【御名・法名】敦仁あつぎみ/あつひと・延喜帝・宝金剛

【陵所】後山科陵のちのやましなのみささぎ
世系38、即位13歳、在位34年、宝算46歳。

誕生 885年2月6日(元慶9年1月18日)
崩御 930年10月23日(延長8年9月29日)

臣籍に生まれて後に即位された唯一の天皇であります。平安時代では最長の33年間在位されました。
醍醐帝は和歌の振興に力を入れ、延喜5年(905年)には「古今和歌集」の撰進を紀貫之らに命じられ、御製が43首も入っているほか、家集「延喜御集」も編まれました。
理想の治世として尊崇され目標とされた「ひじりの御世・延喜えんぎの治」の天皇。

その草創期の治世を支えたのが菅原道真と藤原時平でした。

藤原摂関政治の草創期で、道真はその秀才ゆえに右大臣まで登り詰めたのですが、左大臣時平に讒言ざんげんされ、醍醐天皇の逆鱗に觸れて大宰府に配流されてしまいました。太宰府に流されて二年後、道真公は亡くなります。

亡くなった後、都を中心に天変地異や樣々な不吉な出来事が続き、道真公の祟りと噂され日本三大怨霊に挙げられるほどでした。

死後、その冤罪えんざいは晴れ、太政大臣を追贈され、更に北野天滿宮天神の神号が贈られました。