秩父路
秩父路を往く(七) 秩父御嶽神社
御嶽行者であった鴨下清八翁が明治二十八年十一月、木曾の御嶽山より御嶽大神を勧請し秩父御嶽神社を創建した。
清八翁は、日露戦争の後、東郷平八郎元帥の人柄と精神に感銘を受けて銅像の建立を志し、再三に渡り陳情した末、清八翁の誠心誠意の熱意が元帥の心を動かし承諾を得て像が建立された。大正十四年四月十七日の除幕式には、東郷元帥自ら随伴者とともにご臨席されるという栄誉も賜った。
秩父路を往く(六) 出雲伊波比神社
神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年に日本武尊()が東征を成し遂げ、凱旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己()貴()命() をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄()多毛比()命()が、出雲の天()穂()日()命()をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされている。
中世・近世には茂呂明神、毛呂明神、飛来明神、八幡宮などと呼ばれた。
秩父路を往く(四) 秩父神社
6~7世紀頃まで武蔵国北西部に存在していたとされる古代の國が「知々夫国」である。
後の「武蔵国」は大化の改新で「無邪志国(むさしのくに)」と「知々夫国」を合わせ一国として成立した。
「知知夫の国」その総鎮守である秩父神社の御創建は、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神である八意思兼神をお祀りしたことに始まる。
秩父路を往く(参) 竹寺
山岳信仰の道場として千年余の歴史を有した日本的精神の基となった神仏習合の遺構である。
昔の巡礼者は標高640mにある第32番札所の子ノ権現天竜寺から豆口峠を通って、難行の末やっとたどりついたであろうことが想像される鳥居の下の茅の輪をくぐってお参りを…
と言うと神社と思われるが、ここはお寺。本尊も仏様ではなく「牛頭天王」を祀り、本地仏に「薬師如来」を配している。