秩父路を往く(四) 秩父神社
知々夫国一之宮 秩父神社
知々夫国をご存じか?
6~7世紀頃まで武蔵国北西部に存在していたとされる古代の國が「知々夫国」である。
後の「武蔵国」は大化の改新で「無邪志国(むさしのくに)」と「知々夫国」を合わせ一国として成立した。
「知知夫の国」その総鎮守である秩父神社の御創建は、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神である八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)をお祀りしたことに始まる。
八意思兼神とは、天照大神が天岩戸隠れをした際、どうやって外に引っ張り出すかという案を講じた神である。
秩父神社は、秩父地方の総社で「延喜式」にも掲載される関東屈指の古社である。宝登山神社・三峯神社と合わせ秩父三社と呼ばれている。
中世以降は、桓武天皇四世・鎮守府将軍「平良文※01」を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、天之御中主神を合祀し長く秩父妙見宮として隆盛を極めた。
ご祭神は、上記三神に加え昭和天皇の弟宮様「秩父宮雍仁親王」を昭和28年に合祀した。
社殿は、徳川家康公が寄進されたもので、県有形文化財に指定されており、江戸時代初期の建築様式をよく留めている。
明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復し、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は別表神社となっている。
秩父神社の例祭は「秩父夜祭」の名で知られ、豪華な笠鉾・屋台の曳き回しに能楽を想わせる典雅な神代神楽と屋台囃子は見応えある勇壮な夜祭である。
神祠歴拝居士
飛鳥時代の元明天皇の御代、秩父で採掘された和銅が朝廷に献上され、日本で最初に鋳造・発行・流通した銭貨「和同開珎」となった。和銅の発掘を瑞祥として元号が和同(708年)に改元されたのである。
※01 平良文を祖とする坂東八平氏は関東武士団の本流として栄え千葉氏・上総氏・三浦氏・土肥氏・秩父氏・大庭氏・梶原氏・長尾氏などで、派生氏族には畠山氏・川越氏・豊島氏・葛西氏・江戸氏・小山田氏・中村氏・土肥氏・三浦氏・鎌倉氏・長尾氏・大庭氏・梶原氏・相馬氏・神保氏・練馬氏・板橋氏・・・
神垣も新たになりて御ゆかりの
秩父の里わいよよ栄えむ
【所在地】玉県秩父市番場町1-3
西武鉄道「西武秩父駅」から徒歩15分、
秩父鉄道「秩父駅」から徒歩3分。
関越自動車道 花園I.C.より約30km。
秩父市内に入り、国道299号線と交差する上野町交差点を右折。
※駐車場完備