南朝

天皇弥栄
第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。

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天皇弥栄
第百代天皇 後小松天皇 

6歳で第6代北朝天皇に即位し、16歳の時に南朝の後亀山天皇から神器を受け取り南北朝の合一を果たし第百代天皇と成られました。
実際、条件にあった持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となるという「両統迭立」の約束も果たされず、皇統は後小松天皇の系統で受け継がれることとなる。
足利義満の策略により、合一の条件にあった両統迭立の約束も果たされなかった。南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動の武装蜂起をおこしたが、やがて歴史から消える事となった。

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