第百代天皇 後小松天皇 

後小松天皇

第百代天皇 後小松天皇

後小松天皇御製

 たちかへる神代の春やしるからし

   たかまが原に霞たなびく

嘉元三年九月十五日に崩御 されました。

【御名・法名】幹仁もとひと・素行智
【陵所】深草北陵ふかくさのきたのみささぎ
即位6歳、在位31年、宝算57歳。
誕生 1377年8月1日(天授3年3年6月27日)
崩御 永享5年10月20日(1433年)

後円融天皇の第一皇子。
6歳で第6代北朝天皇に即位し、16歳の時に南朝の後亀山天皇から神器を受け取り南北朝の合一を果たし第百代天皇と成られました。
実際、条件にあった持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となるという「両統迭立」の約束も果たされず、皇統は後小松天皇の系統で受け継がれることとなる。
足利義満の策略により、合一の条件にあった両統迭立の約束も果たされなかった。南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動の武装蜂起をおこしたが、やがて歴史から消える事となった。