第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

後嵯峨天皇【第八十八代天皇】

第八十八代天皇 後嵯峨天皇像(宮内庁蔵『天子摂関御影』より)

榊とりますみの鏡かけしより

 神の国なるわが国ぞかし

(続拾遺1457)

【御名・法名】邦仁くにひと・素覚 
【陵所】嵯峨南陵さがのみなみのみささぎ
即位22歳、在位5年、宝算53歳。
誕生 1220年4月1日(承久2年2月26日)
崩御 1272年3月17日(文永9年2月17日)

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。
京嵐山の桜は、後嵯峨上皇が吉野の桜を移植したのがはじまりという。