雄略天皇 第二十一代天皇

雄略天皇

第二十一代天皇 雄略天皇 「御歴代百廿一天皇御尊影」より

雄略天皇御製

()もよ み籠持ち ふくしもよ み()(くし)持ち

 この岡に 菜摘(なつ)ます児 家告らせ

 名告らさね そらみつ 大和の国は

雄略天皇23年8月7日に崩御 されました。

【御名】大泊瀬(おおはつせ)幼武(わかたけるの)(みこと)

【陵所】丹比(たじひの)高鷲(たかわしの)原陵(はらみささぎ)

世系23、即位39歳、在位23年、宝算62歳。

允恭天皇の第5皇子。雄略天皇は大和朝廷による全国支配を形にした天皇。兄の八釣白彦皇子と坂合黒彦皇子・眉輪王・圓大臣(葛城氏)・市邊押磐皇子(履中第一皇子)とその弟の(みまのみこ)らを滅ぼした。

支配体制の確立の過程で血の粛清による激しい政争が繰り広げられたと伝えられている。