諸行無常の響きあり

動乱の時代を生きて

国旗 日の丸
国旗 日の丸

安倍晋三元総理の最初の月命日

憲政史上最長の在任記録を持つ大宰相・安倍晋三氏が凶弾に倒れ早いもので最初の月命日を迎えた。

安倍氏は平成18年、戦後最年少・戦後生まれとして初の首相に就任した。

22年に首相に再任されてからは、「自由で開かれたインド太平洋( FOIP Free and Open Indo-Pacific )※01」構想を実現化し、軍事・安全保障関係を主導する為に「平和安全法制」を成立させた功績は海外からも高く評価されている。

人生の晩年に、日本で日本の宰相がテロルに斃れるという大事件に際会してしまったのだから、人生何が起こるか分からないものだ。
動機は、残念な事に短絡的で身勝手・粗暴で幼稚な発想からであった。
万全の警備体制の中、狂人の妄想の理由により一国のトップが理不尽にも殺害されたのである。
この様なテロルは、国家・社会の根幹となる道義も秩序も大きく損う国賊行為に他ならない。
安倍晋三元総理のご冥福めいふくを改めて心よりお祈り申し上げる次第である。

一発の銃声は百万の動員に勝る時代は終わった

似た図式の無意味なテロルは過去にもあった。
親善のため訪日していたロシア帝国の皇太子ニコライ2世が、警備を担当していた津田三蔵巡査に斬りつけられる事件が「大津事件」である。

当時、武士という階級が消滅し、旧士族は苦しみと混迷に曝されていた時代である。
開国間もない小国の日本が大国ロシアの皇太子に傷をつけたこの事件は、世界に、そして日本全土に大衝撃を与え、一般の女性が「ロシアに詫びる」として自殺をする事件も起きたほどだ。

動機の大きな要因となった事がある。

近年に新たに発見された自筆の書簡から浮かび上がった「深層に澱んだ幻想」からの行為で在った様だ。

それは、死んだはずの西郷隆盛公が露皇太子と一緒に帰国し、勲章を剥奪するという妄言を信じ凶行を決意したという。

信じがたい事ではあるが、皇太子を歓迎する遠くで響く花火の音が大砲の音を想起し、津田の心のなかで重きをなしていた西南戦争の記憶がよみがえり、憎悪と屈辱の感情が入り混じり増幅し殺意となったというのであるから人の心とはに恐ろしいものである。 

津田にとって西南戦争に官軍としての参戦は輝かしい体験であり、勳七等の戦功が人生最大の喜びであり、決して汚されてはならない誇りであったのだ。

しかし、津田巡査の見識も正義もない凶行には、元同僚の旧彦根藩士もでさえも

狂ひての しわざとはいへ なと露の 玉に小蝶こてふの 羽をふれけむ※01」

と詠み批判しているほどだ。

※01 何故?露の玉(露皇太子)に「小蝶の羽」(刃)を触れるようなまねをしたのか

覚悟と見識無き行為者は大悪となる

行為を成そうとするものは大いなる覚悟と確かで豊富な見識を持たねばならない。

圧倒的独裁的権力者や徹底的な売国奴・不敬極まりない反天皇主義者に対し時として正義の鉄槌を振るうテロルという行為を100%否定する事は小生の思考の奥底では否定できない気持ちも大きい。

しかし、サラエボ事件の様に一発の銃弾が世界大戦を引き起こすこともある。

日本の宰相経験者の最初の犠牲は、大日本帝国憲法の制定を主導した初代首相の伊藤博文である。
満州のハルビン駅で、朝鮮独立活動家の安重根に暗殺された。安重根は抗日の英雄とされているが、伊藤の考えは反「日韓合邦」の韓国独立維持派であった。

安重根は嘘の情報を吹き込まれ頑なに信じ、祖国の大恩人を暗殺するという愚かな過ちを犯したピエロの様なテロリストに過ぎなかったのだ。

次の犠牲者は、平民宰相と呼ばれた原敬だ。

事件の約1か月前の上司との談義で「今の日本には武士道精神が失われた。武士は腹を切ると言うが、実際に腹を切った例はない」との言葉を聞き、「腹」と「原」を勘違いした凶行であったとは、それが真実ならば情けなさすぎる話である。

昭和5年の浜口雄幸宰相銃撃事件。

五・一五事件の犬養毅宰相暗殺。

二・二六事件で高橋是清元首相が暗殺された。

行為に至る所為と覚悟の善悪正邪は一旦置くとして、銃弾という恐怖に支配された政治は萎縮し、軍部の暴走と国家の破滅への道を選択させてしまったわけだ。

現代の感覚で判断をすれば、一片の共感も生まれず、テロルは悪となってしまう。

唯春の夜の夢の如し

小生は大東亜大戦後の「平和な時代」に生を受け「泰平の時代」の中で死んで逝くと思っていた。
しかし、小生の生まれた時代は泰平ではなく「動乱の時代」であったようだ。
2001年の国際社会に最も衝撃を与えた「米国同時多発テロ」をテレビ画面を通じてではあるが映画の様な惨劇をリアルタイムのライブ映像で目にした。
翌年の9月11日ニューヨークを訪れ、世界貿易センタービル跡の巨大な地の底まで続くような穴倉を除き献花したが、その時には自分史の中で早くも最重要事件に遭遇してしまったと思い、21世紀最大の事件がこんなにも早く起こってしまったと・・・この事件を超える衝撃的な事件は起きないと思ったものであった。

そして2011年、東日本一帯に巨大地震が発生し、福島第一原子力発電所事故と阿鼻叫喚の大津波が襲った。
祖霊の、そして祖父の故郷の地であり、何度も訪れた三陸の海辺の町々が海に吞み込まれる映像は圧倒的であり、言葉さえ失うものであった。

1995年(平成7年)に起こった大地震「阪神・淡路大震災」の時には、不徳ではあるが恐ろしさの中にどこか他人事のような感がしていた。

しかし、三陸を襲った大津波の映像は正に世紀末の出来事に思え心胆しんたんを寒からしめるものであった。

2019年12月支那から始まった武漢コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックにより世界は一変した。

古今未曾有みぞうの大震災・大津波・疫病に曝され、更にはロシアによるウクライナ侵攻という新しい形態の戦争までも覗いてしまった。

すべての厄災を人生に於いて経験したのである。

時が経ち、未来の者たちが歴史としてみた時、この時代も「激動と混迷の時代」と映るのであろう。

大墓公阿弖利爲の末裔

※01 FOIP  「インド太平洋」概念が初めて公式に登場したのは、2007年8月、インド訪問時に国会で「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)と題した演説からである。
太平洋とインド洋を一つの「インド太平洋」として捉え、地理的境界を突き破る「拡大アジア」により、自由で透明な繁栄の海に育てる構想の基本概念。