国策企業から国賊企業への変身 其の壱

日本国レームダック化の元凶たち

傷つけられた日の丸
傷つけられた日の丸

小泉純一郎・竹中平蔵・成田豊

死者に鞭打つは本意でないが、日本をレームダックさせたのは、小泉純一郎・竹中平蔵だけではない事を御理解頂く為、影のグローバリストに御登場願うことにする。  
さらに今回は趣きを変えて「私小説風」にアプローチしたい(笑)。

電通ロゴ

国賊「成田豊」は、電通第9代代表取締役社長、第2代代表取締役会長、代表取締役最高顧問を歴任した大実業家?である。 
小生は平成8年に彼と2度会っている。
その時の役職は、代表取締役社長であった。
初対面は、当時築地に在った電通の本社。
2度目は、北京の店で名は忘れたが、北京ダック発祥の店と言われていた老舗高級北京料理店だった。
当時、彼は「チャイナ政府」=「中国共産党」に食い込む事に力を注いでいたらしい。
特に2008年のオリンピックが、北京で開催される前提でIOCと江沢民(当時の国家首席)周辺の調整をしているとの事だったが、それは勿論「金 money」の調整であったのだろう。

成田を紹介してくれたのは、成田の腹心で電通史上最年少部長と騒がれていたKという人物だった。
Kとの出会いは、小生がフジテレビを辞め大学の先輩達が経営する広告代理店に入社し、セールスプロモーションの企画で三共(現・第一三共ヘルスケア)をクライアントにしていた頃だった。

Kは電通の三共チームリーダーとして、時任三郎を起用した「リゲイン」のCMで数々の賞を総嘗めにし、「♪黄色~と黒は勇気のしるし」のCMソングはバブル時代のテーマソングと云われたほどに耳に残っている。当然「リゲイン」も大ヒット。栄養ドリンクでは空前の売上を記録し、Kは30代で部長に昇格していた。

小生は、Kに三共の接待の席に度々呼ばれ、普通に生きていては、まず行けない場所、行けない店、会えない人、観れない世界を体験させてもらい、電通のパワーを身を以ってまさに体感した。 
当時、電通マンから聞いた言葉で印象に残っているセリフは「自由にならないのは『NHK』と『ジャニーズ事務所』だけ」。
そんなNHKも2005年、電通の軍門にくだる。
何故か?
それは、2004年に連続して起きた職員の不祥事に対し、電通の実動部隊=週刊文春の「文春砲」が立て続けに火を噴いた。
保守の鑑?海老沢勝二会長は失脚。上層部は全員退任。海老沢は盟友渡辺恒雄に請われ読売新聞取締役にしりぞいた。
この事件を境にNHK会長には電通の息のかかった人物が着任し、NHKエンタープライズをはじめとした子会社の殆んどに電通の資本が注入された。
NHKが電通の傘下入りした瞬間だった。
一連のこの騒動は、成田に依って緻密に計算された「一大クーデター」であり、この時を以ってNHKは、

「反日」「親中」「反ナショナリズム・親グローバリズム」

露骨に演出する様になった。

戦前・戦中期、NHK総裁であった近衛文麿により共産主義者が職員として入局していたらしいが、テレビ放送がはじまってからは国民第一・生活者目線で番組創りが行なわれてきた事は間違いの無いことだった。しかし、2005年以降は 電通の意向に沿った「反日的番組」が非常に増えていった事は心ある識者たちにとっては周知の事実である。       続く・・・

住吉正州