宇垣纏中将墓所清掃

多磨霊園 宇垣纒中将墓所清掃

今年のお盆に初めて墓参に訪れ、草生し荒れ果てた墓所を見て愕然とした思いを思い出す。

今まで参ってきた高名な軍人の墓は、どれも綺麗に掃除され風格を漂わす立派なモノばかりであった。

ただ一人、宇垣纏中将の墓所だけは哀しいかな無縁仏の様であった。

前回はスケジュールの都合もあり、大凡の掃除であり大変心残りであった。

国に尽くした先人の墓を無縁仏にしてはならないの一念で毎年、各墓所の清掃を続けているが、宇垣纏中将の墓所の中途半端な掃除は心残りであった。

夏草が墓石を覆う惨たる景を奇麗に清掃した

昭和20年8月15日、正午の玉音放送は雑音で聴き取りは難しい状況であったが、降伏を知った第5航空艦隊司令長官宇垣中将は自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥拝領の脇差を手に飛行場に向かった。
「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と言い切り、
艦上爆撃機「彗星」11機と、搭乗員22名を従え出撃した。

第5航空艦隊司令長官として赴任した当初は、「特攻」こそが戦局打開の秘策と思考していた。しかし、戦力も情報戦に於いても連合軍が圧倒する当時の情況の中で「特攻」という戦術が意味を成さない事を宇垣中将も認識したようである。

この特攻を戦後「敗戦がわかっていてなぜ若者たちと出撃したのか」と批判が続発したが、指揮官としての無力感と焦燥、そして責任。

この心情と行動は、現代人の我々には極めて難解である。

単純に批判も称賛も出来ない所作である事は間違いない。

2022.10.02 宇垣纏中将の墓所
2022.10.02 宇垣纏中将の墓所の清掃
宇垣纏中将の墓所祝詞奏上
2022.10.02 宇垣纏中将の墓所祝詞奏上