俳聖【松尾芭蕉】
時雨忌
元禄7年(西暦1694年)の今日、時雨の降る季節に俳聖 松尾芭蕉が死んだ。
芭蕉が「時雨」を好んで句作に用いたことにも因むという。
滋賀大津の義仲寺という名刹が芭蕉の永眠の地。
大東亜大戦後、荒廃壊滅に瀕していた義仲寺の復興に尽力したのが我が一門の先師である三浦義一翁である。
義仲寺には、名の由来のとおり朝日将軍 源義仲・巴御前・山吹御前と彼を熱烈にを慕った芭蕉と共に昭和の文人 保田與重郎と三浦義一翁も眠っている。
若者を連れ義仲寺に参ってからもう四年になる。また訪ねて参りたいという思いと、過ぎ去る月日の早さを感じてしまう今日この頃・・・
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
奥の細道の序文にある名文で、意は「月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎていく年も旅人である・・・」支那・唐時代の詩人 李白の文章を踏まえたものだが、直線的な時間軸と繰り返され巡る時間軸の奥深い感慨だ。
芭蕉生前最後の句は、
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
「旅に病んで」と、あえて六音の「字余り」を選んでいるが、
「旅に病み」とすればスッキリすると思うが、。
あえて「字余り」を選ぶ事で、芭蕉は旅の終焉に重さを加え詠んだのであろうか・・・名人になると奥が深いのだなぁと感心するばかりである。悲しヤ。