神仏習合が本来の日本の文化

神仏習合が本来の日本の文化

神仏習合 鳥居と五重塔(日光東照宮)
神仏習合 鳥居と五重塔(日光東照宮)

明治政府の大愚策 「神仏分離」「廃仏毀釈」

明治政府が行った愚策の中でも「神仏分離」「廃仏毀釈」は、日本精神の崩壊につながる最大なものであったと小生は思っている。 

「神仏習合は神道の没落であり不浄化であった」「仏僧は、神道を揺さぶって堕落させた」とする純神道への復興の旗印のもと、至高の国家文化遺産である仏像・仏塔・鐘楼・仏具・寺院に加え、豊かに装飾の施された神社をまでもが神道建物の不適格として、「純化」の熱意の為に破壊され、僧侶も激しい弾圧を受け還俗を強制された。
神道の総本山といわれた「吉田神道」をも厳しく批判し、吉田家の特権も廃止された。

「廃仏毀釈」は、千年数百余年の永きに亘って創り上げられた我が日本固有の伝統文化の徹底的な破壊という低俗な蛮行でしかなかった。「廃仏毀釈」を、支那の文化大革命やイスラム教過激派の遺跡破壊運動という狂気の蛮行と単純に比較は出来ないが、千年数百余年の永きに亘って創り上げられた我が日本固有の伝統文化の徹底的な破壊という低俗な蛮行であった事は間違いない。

「神道」はかつて、様々な宗教と習合(神仏・神儒)という融合により高次の思想の種子を借り受け、進化し続けながら高度な寛容と統合を生み、幾つもの時代の変遷を経て日本の統治者と民を育んできたのであると思う。
一言で表せば「神儒佛トモニ悟ル心ハ一ナリ」。石門心学の開祖・石田梅岩の言は達意である。

神道の歴史的展開を国学の考え方に倣って四段階に分けてみたい。

第一段階は、神道のはじめはは万物には霊魂が宿ると考え、それを畏怖しあがめる信仰(アニミズム)であり「神祇信仰」「カミ信仰」などと呼ばれる自然発生の「原始的段階」であろう。
それに続く第二段階は「神道と仏教の混交」であり、仏教伝来によって「神仏習合」し国家の儀礼となった。近世の「神儒習合」で神儒仏が融合されていったのである。

第三段階は「純神道の復興」であるが、学識ある神道学者の手によるモノでなく、世俗合理主義的な政府官僚が主導した事で大きな悲劇を生むこととなった。
「国家神道」は明治維新による近代天皇制下に於いての国教制度であった。仏儒思想を排除した「復古神道」であり、天皇を現人神として神格化し、日本を神国とした自己尊大の誤った道に進んでしまったのである。

第四段階は、大東亜大戦敗戦による未曽有の危機に際してから現代までである。神道を奇怪な幻と考えていた占領軍GHQは、あろう事か神道を国家体制を支えたイデオロギーと捉え「神道指令」発し徹底的な弾圧を画した。  
その混乱の中、神道人・葦津珍彦先生が徹底的にGHQと闘い、神道本来の姿である「国家鎮護の祭祀」と「精神的支柱としての信仰」という神社神道を成立せしめたのである。
しかし、現在の神社本庁を頂点とする神社界は、崇高なる葦津思想を忘れ私利私欲に走り危機的状況に瀕している嘆かわしい状況である。

伊佐沼薬師神社 神仏習合の名残りのお地蔵さん 梵字は「サク」は勢至菩薩

武州川越の伊佐沼は、夏になると古代蓮を楽しむことができる。その池畔にある伊佐沼薬師神社。明治の神仏分離以前は冷水山醫王寺と号した天台宗寺院で、明治の神仏分離により廃寺となり薬師神社となった。

伊佐沼薬師神社社殿 屋根は茅葺
伊佐沼薬師神社 境内入り口の観音講中の角柱型石塔
伊佐沼薬師神社 ご由緒書き
伊佐沼薬師神社 ご由緒書き
伊佐沼薬師神社 古くは境内が伊佐沼に半島状に突き出し、川越八景の一つに挙げられた
伊佐沼薬師神社 境内社弁財天
伊佐沼薬師神社 弁財天の扁額
伊佐沼薬師神社 摂社 愛宕・稲荷・天満宮合殿