三浦義一翁の祥月御命日
我が西山廣喜一門の先師・三浦義一翁の祥月御命日
さくらばなさきかつ散らふ時のまも
任のまにまに散りてゆく伴

1898年~1971年。大分県出身。早稲田大学中退。父・数平は大分市長、衆議院議員。国家社会主義運動を推進、皇道日本を目的とした「大亜義盟」を組織する。
度重なる事件により収監されるも、生涯に亘り日本の魂を詠った和歌を詠い続けた北原白秋の門下の歌人という顔もあられた。
敗戦後も政界との繋がりは強く、財閥解体による三井家の危機を救い、日本橋室町の三井本館に事務所を構え、敗戦後の日本の発展のために献身した。
その指導力は、「室町将軍」という異名で呼ばれるほどだった。
全日本愛国者団体会議最高顧問。






春の愛国者墓所巡り 頭山満翁
年に何度も巡る道は決してついでではない。
師を訪ねた後に先覚を偲び、烈士の安寧を祈った後に季節を愛で、師に報告する。
嗚呼、人の道をそれぬこと、そして「先人たちの魂を忘れえぬ」ことこそ楽しけれである。



春の愛国者墓所巡り 名犬ハチ公

春の愛国者墓所巡り 梅窓院 愛国党筆安書記長

春の愛国者墓所巡り 山口二矢烈士
