【二・二六事件】賢崇寺【八十六年祭】

国民よ 国をおもひて 狂となり 痴となるほどに 国を愛せよ

麻布「賢崇寺」の墓所に鎮座する二十二士の墓碑の前で刑場の露と消えた青年将校の遺族有志により毎年正午より御遺族である槇泰智(政経調査会)氏主催の八十六年祭が行われた。国民儀礼の後、献花、焼香、槇泰智氏による決意文を読み上げ無事終了。





二十二士之墓
栗原安秀中尉の父親である栗原勇大佐は、佐賀県出身であった由縁から、賢崇寺二十九世住職である藤田俊訓師に入門、得度し、遺骨の供養、遺族との連絡に奔走し、藤田師も遺骨埋葬合同慰霊祭の許可、墓碑の建立に尽力し、二十二士の合同慰霊祭が行われた。
なお、賢崇寺内にある「二十二士之墓」は、昭和二十七年七月十二日の第十七回忌法要に合わせて建立されたものである。
墓碑裏面
昭和十一年二月二十九日 坂井 直
野中四郎 田中 勝
昭和十一年三月六日 中島莞爾
河野 壽 安田 優
昭和十一年七月三日 高橋太郎
相澤三郎 林 八郎
昭和十一年七月十二日 渋川善助
香田清貞 水上源一
安藤輝三 昭和十二年八月十九日
竹島継夫 村中孝次
對馬勝雄 磯部浅一
中橋基明 北輝次郎
栗原安秀 西田 税
丹生誠忠
昭和二十七年七月十二日
仏心會建之

北 一輝 (思想家)
戒名:経国院大光一輝居士
遺書や遺詠等
獄中においてほとんど筆をとらず、朝夕法華経の読経に終始し、遺書や遺詠等の書き残したものはほとんどない。 墓所は泰叡山護國院瀧泉寺墓所と佐渡の勝広寺

西田税 (思想家、元陸軍騎兵少尉)
戒名:義光院機猷税堂居士
墓所は鳥取県米子市博労町 法城寺内
(最後によめる歌八首)
限りある命たむけて人と世の
幸を祈らむ吾がこゝろかも
あはれ如何に身は滅ぶとも丈夫の
魂は照らさむ万代までも
国つ内国つ外みな日頃吾が
指させし如となりつゝあるはや
はゝそはの母が心は腸を断つ
子の思ひなほ如かめやも
ちゝのみの父らまち給ふ風きよき
勝田ヶ丘のおくつき所
うからはらから世の人々の涙もて
送らるゝ吾は幸児なりけり
君と吾と身は二つなりしかれども
魂は一つのものにぞありける
吾妹子よ涙払ひてゆけよかし
君が心に吾はすむものを
昭和十二年八月十七日 残れる紙片に書きつけ贈る

磯部浅一 (元陸軍一等主計)
戒名:深廣院無涯菱海居士
墓所は東京都墨田区千住小塚原 回向院内
(辞世)
国民よ国をおもひて狂となり
痴となるほどに国を愛せよ
三十二われ生涯を焼く情熱に
殉じたりけり嬉しともうれし
天つ神国つみ神の勅チヨクをはたし
天のみ中に吾等は立てり
わが魂は千代万代にとこしえに
厳めしくあり身は亡ぶとも

野中四郎 (陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第7中隊長)
戒名:直心院明光義剣居士 享年32歳。自決。
(辞世の句)
我れ狂か愚か知らず 一路遂に奔騰するのみ

香田清貞 (陸軍歩兵大尉・歩兵第1旅団副官)
戒名:清貞院義道日映居士 32歳。銃殺刑。
(辞世の句)
ひたすらに君と民とを思ひつゝ
今日永えに別れ行くなり

安藤輝三 (陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第6中隊長)
戒名:諦観院釈烈輝居士 31歳。銃殺刑。
(辞世の句)
尊皇の義軍やぶれて寂し春の雨
万斛の恨 涙も涸れぬ ああ天は
一切の悩みは消えて 極楽の夢
十二日朝 安藤

栗原安秀 (陸軍歩兵中尉・歩兵第1連隊附)
戒名:至誠院韜光冲退居士 27歳。銃殺刑。
(遺詠)
君がため捧げて軽きこの命
早く捨てけん甲斐のある中
七月七日 双安生
道の為身を盡したる丈夫の
心の花は高く咲きける
七月十日 安秀

河野壽 (陸軍航空兵大尉・所沢陸軍飛行学校操縦学生)
戒名:徹心院天岳徳寿居士
(辞世の句)
あを嵐過ぎて静けき日和かな

竹嶌継夫 (陸軍歩兵中尉・豊橋陸軍教導学校附)
戒名:竹鳳院神厳継道居士
(遺詠)
喜びの久しく茲に積り来て
千代に八千代に栄え行くらん
しばしして人の姿は消へぬるを
唯捧げなん皇すめら御国みくにに
三十年間如朝露 一超直入如来地
昭和十一年七月 竹島継夫

対馬勝雄 (陸軍歩兵中尉・豊橋陸軍教導学校附)
戒名:義忠院心誉清徳勝雄居士
(辞世の句)
ひと粒の種はくさりてちよろづの
実を結ぶこそ誠なりけれ
昭和十一年七月十二日 邦刀
(遺詠)
日は上り国の姿も明るみて
昨日の夢を笑ふ日も来ん
昭和十一年七月十日 草莽微臣 対馬 勝雄
皇位天皇之神格也 地上最高天与使命也 至愛至誠不可侵
昭和十一年七月十日 草莽微臣 対馬 勝雄

中橋基明 (陸軍歩兵中尉・近衛歩兵第3連隊附)
戒名:至徳院釈真基居士
(遺詠)
五月雨の明けゆく空の星のごと
笑を含みて我はゆくなり

丹生誠忠 (陸軍歩兵中尉・歩兵第1連隊附)
戒名:丹節院全生誠忠居士
(辞世の句)
むら雲に妨げられし世をすてて
富士の高嶺に月を眺めん
昭和十一年七月七日 丹生誠忠

坂井直 (陸軍歩兵中尉・歩兵第3連隊附)
戒名:輝証院釈直入居士
(遺詠)
皇国に誠の心なしとても
我が心のみ神に通ぜん
身は一代名は幾千代の命なり
義を残してぞ生甲斐にこそ
此の上は護国の鬼と仕へてそ
死して甲斐ある命なるらん
吹く風に散り果てにけり山桜
また吹く東風を楽しみにして
義は重し命は軽し武夫もののふの
誠の心幾世変らじ
国民の心は神のみいつなり
民の心の邪よこしまを去れ
大君のために生れて大君の
ために死すべき我身なりけり
此上は七度人と生れ来て
皇御神に仕へまつらん
昭和十一年七月十日 坂井 直
田中勝 (陸軍砲兵中尉・野戦重砲兵第7連隊附)
戒名:解脱院勝誉達空一如居士
(辞世の句)
我はもと大君のため生れし身
大君のため果つる嬉しさ
たらちねの親の恵みの偲ばれて
只先立つて我は淋しき

中島莞爾 (陸軍工兵少尉・鉄道第2連隊附)
戒名:堅節院莞叢卓爾居士
(絶筆)
幽魂永とこしへに留りて 君国を守護す
七月十二日朝 莞爾

安田 優 (陸軍砲兵少尉・陸軍砲工学校学生(野砲兵第7連隊附))
戒名:安寧院丹田優秀居士
(絶筆)
白妙の不二の高峯を仰ぎつつ
武さしの野辺に我が身はてなむ
我を愛せむより国を愛するの至誠に殉ず
昭和十一年七月十二日刑死前五分 安田優

高橋太郎 (陸軍歩兵少尉・歩兵第3連隊)
戒名:高忠院水橋不流居士
(遺書)
夜来ノ雨二洗ハレ木々ノ緑愈々色濃シ
十有七ノ鮮血ニヌグハレ皇国体ノ真姿皎々トシテ輝カン
鮮血ト涙二洗ハルヽ皇国ノ前途燦タリ、尊キ哉
(遺詠)
うつし世に二十四歳の春過ぎぬ
笑つて散らん若ざくら花
み光を蔽へる雲をうち払ひ
真如にすめる今ぞのどけし
昭和十一年七月八日 元陸軍歩兵少尉 高橋太郎書

林八郎 (陸軍歩兵少尉・歩兵第1連隊)
戒名:誠徳院一貫明照居士
(母への遺詠)
御心をやすむる時もなかりしが
君に捧げし此身なりせば
母上様に捧ぐ 昭和十一年七月十一日 八郎
(不変の盟)
鬼となり神となるともすめろぎに
つくす心のたゞ一筋に
すめろぎの隈なき光みつれやと
たぎる血汐に道しるべせん
焔峰林生

渋川善助 (思想家、元士官候補生)
戒名:泰山院直指道光居士
(遺詠)
四つの恩報ひ盡せぬ嘆こそ
此の身に残る憾なりけり
昭和十一年七月十一日 光佑コト善助
直指道光居士 祖父上様 父上様 母上様 皆々様
我不愛身命 但惜無上道
昭和十一年七月十一日 渋川善助残

水上源一(民間人)
戒名:源了院剛心日行居士
遺(遺詠)
国のためよゝぎの露と消るとも
天より吾は国を守らん
大御心雲さいぎりて民枯る
死しても吾は雲をはらわん
昭和十一年七月八日 源一書

村中孝次 (元陸軍歩兵大尉)
戒名:自性院孝道義運居士
墓所は仙台市新寺小路 松音寺内
(辞世の句)
たゞ祈りいのりつゞけて討たればや
すめらみ国のいや栄へよと

相沢三郎 (陸軍歩兵中佐)
戒名:鉄肝院忠誉義徹居士
墓所は仙台市新坂通 充国寺内
(辞世の句)
まごころによりそう助けかひありて
仕へはたして今帰へるわれ

興国山賢崇寺について
1635年(寛永12年)、鍋島藩初代藩主信濃守勝茂鍋島勝茂が疱瘡で亡くした息子の佐賀藩主鍋島家三代松平肥前守忠直を弔い建立し、魚泉正豚和尚(承応4年1655年寂)を開山。後に江戸における鍋島家の菩提寺となった。忠直の戒名である「興國院殿敬賢崇大居士」から興国山賢崇寺と名付けられた。
【宗 派】 曹洞宗
【山 号】 興国山
【寺 号】 賢崇寺
【本 尊】 釈迦
【 文化財 】
肥前佐賀藩主鍋島家墓所(東京都港区指定文化財)
【 所在地 】港区元麻布1-2-12