忘るまじ東京大空襲

東京下町の江東一帯が1945年3月10日。アメリカ航空軍の爆撃機による無差別焼夷弾絨毯爆撃で一般市民10万人の尊い命が奪われた。
戦略爆撃は精密爆撃から無差別爆撃にエスカレートした!
無差別爆撃はナチスのゲルニカの破壊・殺戮爆撃から始まり、帝国日本軍も重慶に無差別絨毯爆撃を実行してしまった事は恥じるものである。
ゲルニカを非難していた英米軍も、復讐心からナチスドイツ下のドレスデン・ベルリン・ハンブルク・ブレーメン等に大規模な無差別爆撃を加え無辜の市民30万人が空襲で死亡した。 その残虐な無差別爆撃をより効率的に、より被害拡大を図ったのがカーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay )少将であった。

大東亜戦争で反撃に転じた米軍の本土空襲当初は、日本の工業力低下の為の軍事拠点を狙った「精密爆撃」であったが一向に成果が上がらなかった。
業を煮やした米陸軍航空軍(United States Army Air Forces, USAAF)は、支那より都市空襲のエキスパートである「鬼畜ルメイ」を呼び寄せ司令官に任命した。
都市を四角形のマス目に区分し、先発隊のB29部隊により外縁を焼夷弾による炎の壁を作り、人が外に逃げられないようする。
その後、大規模爆撃部隊が爆弾を落とす。
指示されたマス目に各B29爆撃機群が正確に大量の焼夷弾を爆撃をする事で、効率よく死者数を増加できる。
正に悪魔の所業である。
「鬼畜」又は「鏖のルメイ」と呼ばれた爆弾によるホロコーストを実行したこの男は、ある意味で天才であり、効率の鬼であった。

昭和19年11月から終戦に至るまでの10か月間で、日本本土を襲ったB29爆撃機は、延べ1万7千機。東京・大阪・名古屋・神戸など、およそ60の都市が焼失した。
この行為が確信の犯罪である事の裏付けはある。
戦前に米国スパイが日本の火災保険を綿密に調査し、日本家屋が耐火性に低く焼夷弾攻撃が有効である事を確かめた上での実行であった事だ。
「鬼畜ルメイ」が用意周到に仕掛けた日本民族に対するジェノサイドである焦土作戦は、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下により完了した。
この行為は、アウシュビッツの惨劇を超えるものである。
大戦後空軍参謀総長に出世し、この血に塗られた男に1964年日本国は「勲一等旭日大綬章」を授与した。
東京大空襲の様な惨劇を又繰り返す愚行を国際社会は許してはならない!