民族慟哭の日、ナガサキ原爆

長崎市への原子爆弾投下 午前11時2分。 

香焼島から撮影された長崎原爆のキノコ雲(松田弘道撮影)

今年も8月9日午前11時02分に非道なる原爆生体実験の犠牲になられた長崎の皆様方の無念を思い心安らかなれと1分間の黙祷を行った。

昭和20年8月9日午前11時02分、ナガサキに原爆が投下された。原爆「ファットマン」はプルトニウム239を使用する原子爆弾である。自然界には極微量しか存在しない元素プルトニウム239を原料とする。爆発の規模は広島よりも大きかったが、平地の少ない小山に囲まれた長崎の地形が、破壊の範囲を限定した。長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、市街地の約40%が廃墟となった。

白人帝国群は、ヤルタの密談で大戦後の利害の調整をし、その結果、勝者の論理・国際法など一切無視で謀議を進めた。

有色人国家「大日本帝国」の民族浄化もしくは再び立ち上がる事の出来ない程の民族弱体化を実行した。

大陸満州ではソビエト赤軍が軍隊とは呼べない大強盗団の如く襲い掛かり、強奪と凌辱の限りを尽くした。日本本土ではアメリカによる原子爆弾の生体実験でヒロシマ・ナガサキが阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

ルーズベルトの急死で大統領になったトルーマンは「マンハッタン計画」の全貌をまったく知らされておらず就任後に知り驚愕した。

ヒロシマ・ナガサキの被害の甚大さをしり三発目の許可をしり込みしたが、ルーズベルトが生きていれば躊躇なく東京・大阪・京都・神戸・名古屋・横浜・小倉に爆撃を加えたに違いない。