後醍醐天皇
第九十六代天皇【後醍醐天皇】
この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。
光明天皇【北朝第二代天皇】
即位によって北朝が成立したので北朝最初の天皇ということになるが、歴代天皇126代の内には含まれず北朝二代とされる。
後伏見天皇第九皇子。光厳天皇御舎弟宮。
足利尊氏が湊川の戦いで宮方に勝利し、後醍醐天皇は比叡山延暦寺に逃走。後醍醐天皇が退位せぬまま、尊氏から治天の君に推戴された光厳上皇の院宣により8月15日に即位された。
後醍醐天皇 第九十六代天皇
この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。
国士巡拝相模【大塔宮護良親王】
北条高時(得宗家当主・第14代執権)の次男勝寿丸(相模次郎時行ときつら)が鎌倉幕府再興のため挙兵(中先代の乱)し、足利義詮よしあきらが治める鎌倉に攻め入った。足利氏の主力部隊は、後醍醐天皇の新政府が、足利氏が鎌倉を拠点に「新幕府」を起こすことを警戒していたため、尊氏とともに京都に留め置かれていた為、万全の防御態勢をとれなかった。
光厳天皇 北朝初代天皇
歴代天皇126代の内には含まれず北朝初代とされる。
持明院統の後伏見天皇の第三皇子。
隠岐に流された後醍醐天皇に代わり鎌倉幕府に擁立されたが、鎌倉幕府滅亡後に廃位された。しかし足利尊氏によって室町幕府が開かれると、光厳天皇は上皇となった。
南北朝時代と呼ばれたこの時代は国内を二分する内戦状態が57年もの間続いた悲劇と混乱の時代であった。
正統VS異端と言われてはいるが、両統とも相応の正統性があった。
光厳帝は二度も廃位された悲運の天皇である。