後醍醐天皇 第九十六代天皇

後醍醐天皇

第九十六代天皇 後醍醐天皇

後醍醐天皇御製

 中々の 人より物を 嘆くかな

   世をおもふ身の 心づくしは

延元四年八月十六日に崩御 されました。

【御名・別称】(たか)(はる)・吉野院

【陵所】(とうの)(おの)(みささぎ)(

即位31歳、在位22年、宝算52歳。
正応元年十一月二日御誕生
延元四年八月十六日崩御
大覚寺統・後宇多天皇の第二皇子。
この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。

そこから本領発揮を発揮される。
父後宇多法皇の院政を廃して「天皇親政」を実現された後、天皇家に介入と締め付けを強める鎌倉幕府の倒幕を画策されたが、計画(正中の変)が事前に漏れて挫折となってしまわれた。
後醍醐帝は天皇親政を実現し律令政治の復活を夢見られたのである。

元弘元年(1331)、再度の倒幕計画も鎌倉に察知され笠置に逃れ籠城されたが、事敗れ(元弘の乱)隠岐に配流となってしまわれた。
配流中も本土と連絡を取りながら、わずか一年で島を脱出され、念願の討幕を果たされ「建武の新政」が始まった。
1333年、鎌倉幕府に擁立されていた持明院統の光厳天皇を廃位し再び天皇に復帰したが・・・
足利尊氏との対立し、56年にも亘る南北朝という混乱の時代を迎えた。

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