第三十四代天皇 舒明天皇 

舒明じょめい天皇

第三十四代天皇【舒明天皇】八角墳の段ノ塚古墳(舒明天皇陵)

舒明天皇御製

大和には 群山むらやまあれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原かまめは立ち立つうまし国そ蜻蛉島あきづしま、大和の国は

舒明天皇十三年十一月十七日に崩御 されました。

【御名・諡号しごう】田村・息長足日広額尊おきながたらしひひろぬかのすめらみこと
【陵所】押坂内陵おさかのうちのみささぎ

世系29、即位37歳、在位13年、宝算49歳。
推古天皇元年御誕生

舒明天皇十三年十一月十七日崩御
父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女(田村皇女)。
推古天皇の没後、蘇我蝦夷は山背大兄王(聖徳太子遺児)と対立し、闘争に勝ち田村皇子の即位を実現した。
天皇は姪にあたる宝皇女(のち皇極・斉明天皇)を皇后として葛城皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇皇后)・大海人皇子(天武天皇)を儲け、蘇我馬子の娘法提郎媛を夫人として古人大兄皇子を生み、吉備の蚊屋采女に蚊屋皇子を生ませた。
在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受け、百済と新羅からの使節も訪れた。