皇位継承を御考察 其の壱【皇位継承史での女帝の実体】

皇位継承史での女帝の実体

第33代天皇 推古天皇

男系女子の即位による女性天皇

現在の日本の天皇は、初代神武から数えて126代とされる。
そのなかで女帝(女性の大王/天皇)は、古代に推古・皇極=斉明・持統・元明・元正・孝謙=称徳の8代6人、近世に明正・後桜町の2人で、計10代8人である。
総数からみれば、ごく少数の例外ということになる。

大正期の皇室制度整備により皇統譜が確定

皇統譜の神武以降歴代の数と名前は、大正15年(1926)に確定した。

政争に敗れた側や、南北朝対立時期に天皇の誰を加え/省くか、伝承上の誰を天皇と認定するかをめぐっては、すでに中世~近世の史書においても様々に見解の相違があった。

近代天皇制国家の発足にあたり、対外的にも歴代を確定する必要に迫られた政府は、審議を重ね、ようやく公式に定まったのが、大正15年だったのである。
この審議の過程で最終的に、即位が確実であったはずの「神功皇后」や「)飯豊(いいとよ)(あお)(のみこと)(飯豊天皇)」は「女帝」枠からはずれたのだった。
こうした問題はあるものの、それを考慮しても全体からみれば女帝はごく少数である。

しかし、これを「例外」として片づけてしまってよいものだろうか。
それでは真の"女帝の実体"とはいえまい。

歴史的にみると、女帝は6世紀末から8世紀後半にかけて8代6人が集中している。6~8世紀の倭/日本には、女の大王/天皇を普遍的に生み出す条件があり、8世紀後半以降はそれが失われていったとみなければならない。

その条件と、それがなぜ失われていったのかを明らかにすることが、"皇位継承史"を探る為の課題であろう。

住吉正州