皇位継承を御考察 其の弐【皇位継承史での女帝の実体】
皇位継承史での女帝の実体
皇室の祖先神である天照大御神を「女性神」とし女系継承の根拠と考えてはいけない。
「皇位の世襲」に女系継承の観念は全くない。
二千年以上男系によって継承されてきた事実は重い。
「皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する」(憲法第2条、皇室典範第1条・2条)。
憲法2条にいう「皇位の世襲」は、「天皇という地位は現天皇の子供、更にその子供へと受け継がれていく」と規定されており、必ずしも血縁を必要としない歌舞伎等の世襲とは異なるのである。
女性天皇の即位に関する事由
男系女子で天皇に即位した8人の女性天皇(2人は重祚)
天皇・皇太子の死後、男系の女子で皇后・皇太子妃であった者が即位した。
1,第33代天皇【推古天皇】 7世紀初頭、大伴氏・物部氏を破り曽我氏が台頭する中、天皇弑逆という非常事態が起こった。混乱の時代、皇位継承資格者は複数おられたが、皇位継承を巡る争いを避けるため、本命の男子が即位するまでの中継ぎとして女帝の誕生となった。母方の伯父に当たる蘇我馬子は天皇弑逆事件の責任が問われることはなかった。この事件がなければ推古天皇が即位されることはなかったであろう。
2,第35代天皇【皇極天皇】・第37代天皇【斉明天皇】(重祚) 皇子の中大兄皇子(後の天智天皇)への継承のための中継ぎ。
3,第41代天皇【持統天皇】 皇太子草壁皇子が夭逝したため、孫の文武天皇への継承のための中継ぎ。
4,第43代天皇【元明天皇(母)】と第44代天皇【元正天皇(娘)】 二代にわたる女性天皇は、孫であり甥である聖武天皇への継承のための中継ぎ。元正帝は生涯独身であった。
5,第46代天皇【孝謙天皇】・第48代天皇【称徳天皇】(重祚) 弟の基皇子が夭逝したため、史上唯一の「女性皇太子」となったが、生涯独身であった。
6,第109代天皇【明正天皇】 紫衣事件への憤懣からか、後水尾天皇が譲位を決意された。しかし、儲君として位置づけられていた高仁親王と若宮が夭逝されていたため、次女の興子内親王が中継ぎで即位し、弟宮の紹仁親王(後光明天皇)の元服で譲位された。明正帝も生涯独身であった。
7,第117代天皇【後桜町天皇】 儲君英仁親王(後桃園天皇)が幼少なため、その成長まで皇位を継ぐことになったが、生涯独身であった。
内親王・女王が天皇に即位された例は、上記の様に、「中継ぎ」として即位と独身であり続けた例だけである。
天皇となった内親王・女王が皇族及び皇統に属する男系の男子以外の男子と結婚して子を儲けた例はない。
男系女子が皇族以外の者と結婚して生まれた子(女系)が皇位に就いた例もなく、皇族になった例もない。
生まれた子は、日本の一般的通念では夫の子と観念され、皇室の血統が「夫の系統」「異なる氏」に移ったとなるのである。
江戸時代後期に仁孝天皇の皇女・淑子内親王が世襲親王家の一つである「桂宮家」の当主となった例はあるが、継承すべき節仁親王が 4 歳で没し、淑子内親王が桂宮家を引き継いだもので、淑子内親王は生涯独身で、後嗣なく、桂宮家は断絶している。
前例でを参考にすれば、皇位継承資格を伴う女性宮家案は、皇室の歩んできた伝統の道を汚すものであると考える。
大墓公阿弖利爲の末裔