頭山満先生

頭山満先生【祥月御命日】

頭山満先生

昭和19年(1944年)の本日は、国士「頭山満」先生がお亡くなりになった日である。
頭山翁は、明治・大正・昭和期に活躍した在野の国士である。
勤王・自由民権・条約改正と様々な運動を先導され、理を語るのみの思想家たることを潔しとせず、徹底した行動の巨人である。
国家主義者であり、大アジア主義を唱え、植民地の圧政に苦しむアジア諸民族の独立運動に寄与した。

頭山翁は、安政2年に福岡藩士の家に生まれ、16歳の時に勤皇派の高場流眼科の医師であり教育家であった天下の女傑・男装の高場乱たかば おさむ門下となる。
余談であるが、来島恒喜烈士も高場の弟子であった。
明治初年、福岡の不平士族の結社・矯志社の蜂起計画に加わり入獄。
頭山翁が入獄中に西南戦争が終始したため、西郷隆盛翁と行動をともにすることができなかった。
しかし、維新の志と西郷隆盛精神の継承者として勤王・自由民権・不平等条約改正・亜細亜諸国の独立運動家の支援など行動の先導をされた巨人である。

明治12年(1879)自由民権運動の結社・向陽社を結成、国会開設請願運動を行う。
明治14年向陽社を玄洋社と改称し、明治維新の理想の延長線上にある「大アジア主義」を主張し「国士」としての道を歩み始める。
韓国独立党の金玉均、中国国民党の孫文・陳其美・戴天仇・蒋介石、インドのチャンドラ・ボース、フィリピンやベトナムなどの独立運動家にも大きな支援をしたのである。