光格天皇
第百十七代天皇 後桜町天皇
後桜町天皇。皇室史における最後の女性天皇。桜町天皇と、正妻女御舎子(青綺門院)の間の嫡出腹の皇女として生まれた。第116代桃園天皇は異母弟。
光格天皇譲位後も、上皇として後桃園天皇・その後に即位した光格天皇の教育・補佐に当たりました。
「天明の大飢饉」の際にも上皇は3万個の和リンゴ配られ民衆救済に尽力を尽くされました。
高山彦九郎先生所縁の地を訪ねて
幕末、維新の志士達に大きな影響を与えた、尊皇運動の先駆者である高山彦九郎先生。
彦九郎翁は、自らの尊皇思想を練り上げ、日本中に皇権復活「建武未遂の偉業の完遂」と復古神道の精神(日本民族固有の精神)を伝播した維新魁の志士である。
寛政2年、江戸滞在中の彦九郎翁は奥羽・蝦夷地を単身訪ねる決心をし、房総から津軽三厩を目指す長い旅にでた。途中、水戸で藤田幽谷・立原翠軒・木村謙次等と、米沢では莅戸太華等と、仙台では林子平と、各地で多くの人々と対談している。津軽に至りはしたが、海峡越えは難しく蝦夷地を断念し、光格天皇の新皇居還幸の儀式見学の為、京に急行した。そして、師走に京の地に舞戻った彦九郎翁に人生最大の喜びの時が訪れたのである。草莽一介の身を以て、その名が今上天皇の叡聞に達するを聞き、感激は頂点に達したのであった。
嗚呼 高山彦九郎先生
本日は維新魁の志士「高山彦九郎先生」の御生誕の日である。延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日)幕末、維新の志士達に大きな影響を与えた、尊皇運動の先駆者である。 彦九郎先生は、自らの尊皇思想を練り上げ、日本中に皇権復活「建武未遂の偉業の完遂」と復古神道の精神(日本民族固有の精神)を伝播した維新魁の志士である。