追尊天皇 慶光天皇

慶光(きょうこう)天皇

追尊天皇 慶光天皇 閑院宮典仁親王

慶光天皇御製

 栄へ行 道は尽せし 八雲たつ

   その神代より 世々に伝へて

寛政6年7月6日に崩御 されました。

【御名・幼名】閑院宮(すけ)(ひと)親王

【陵所】()山寺(ろさんじの)(みささぎ)

出生 1733年4月1日(享保18年2月17日)
死去 1794年8月1日(寛政6年7月6日 61歳没)

第百十三代・東山天皇皇孫、第百十九代・光格天皇御尊父。世襲親王家(東山天皇の皇子直仁親王を祖とする)閑院宮第二代当主、大宰帥。閑院宮直仁親王の第二王子。
第百十八代天皇後桃園天皇が男子を残さないままに崩御したため、典仁親王の第六王子師仁親王が急遽即位した(光格天皇)。
古今伝授伝承者に名を連ねる和歌の名手で、能書家でもあり、短冊などの遺墨が残されている。
天明元年(1781)九月七日、仙洞(後櫻町院)より古今集御傳授。
明治17年、明治天皇の高祖父にあたるということで「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた(追諡)。