後奈良天皇 第百五代天皇

後奈良天皇

第百五代天皇-後奈良天皇木像(浄福寺安置)

後奈良天皇

 今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字、(中略)庶幾虖為疾病之妙薬。

   

弘治三年九月五日に崩御 されました。

【御名】知仁ともひと
【陵所】深草北陵ふかくさのきたのみささぎ
即位31歳、在位32年、宝算62歳。
誕生 1497年1月26日(明応5年12月23日)
崩御 1557年9月27日(弘治3年9月5日)
後柏原天皇の第二皇子。母は勧修寺教秀の女の勧修寺藤子(豊楽門院)。
慈悲深く、天文9年、天下大疫平癒を祈願され心経を写経され、大覚寺と醍醐寺のほか、全国24か国の一宮に納められた。