第七十七代天皇【後白河天皇】

【後白河天皇】第七十七代天皇

第七十七代後白河天皇「天子摂関御影」

 慈悲のまなこは あざやかに 蓮の如くぞ 開けたる

  智慧の光は 夜夜ようように 朝日のごと明らかに

建久3年3月13日に崩御 されました。

【御名・別称】雅仁まさひと・行真法皇
【陵所】法住寺陵ほうじゅうじのみささぎ

即位28歳、在位3年、宝算66歳。
誕生 1127年10月18日(大治2年9月11日)
崩御 1192年4月26日(建久3年3月13日)

鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年にわたり治天の君(上皇)として二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代にわたって院政を行った。
平清盛、源頼朝を翻弄した「日本一乃大天狗」と呼ばれた。
後白河天皇は「今様いまよう狂い」と呼ばれ「梁塵秘抄」という今様歌謡の集成を自ら編纂してしまった。

即位以前の10歳ばかりで今様を始め,それ以来,「四季につけて折を嫌はず,昼は終日ひねもすに謡ひ暮し,夜は通夜よもすがら謡ひ明さぬ夜は無かりき」詩文・和歌・書道などは書いた物が後世に残るけれども,「声技こえわざ」は自分の死後は残らない。だから後世の人のため,これまで存在しなかった今様の口伝を作成して遺すのだ。
今様は、歌詞が、7、5、7、5、7、5、7、5で1コーラスを構成する。