忘れてはならない事跡
忘るまじ東京大空襲

東京下町の江東一帯が1945年3月10日。アメリカ航空軍の爆撃機による無差別焼夷弾絨毯(じゅうたん)爆撃で一般市民10万人の尊い命が奪われた。 戦略爆撃は精密爆撃から無差別爆撃にエスカレートした! 無差別爆撃はナチスのゲ […]

続きを読む
国士の旅
武州古刹歴拝の小旅【其の壱】水宮神社

室町時代に修験道の京都聖護院本山派として創建された「摩訶山般若院」と号した修験寺で、神仏習合が色濃く残る名社・水宮神社を訪ねた。
「摩訶」とは「大きなこと・優れていること」の意味で、「般若」は「大乗仏教の根本思想を説き真理をはっきりと見ることのできる知恵」だという。
明治初年の神仏分離令により社名を水宮神社と改めたそうである。

続きを読む
維新者・愛国者
関山義人先生祥月御命日

西山廣喜翁と同窓の明治大学法学部卒業(1935)。戦時中、香港総督府関山機関を運営。戦後は三浦義一が主宰する国策社青年部長となり、その後興論社社主となる。中山法華経寺権大僧正。奥州大学(富士大学)学長もつとめた。

続きを読む
勉強会・講演会
第341回アジア文化フォーラム

講師: 田村 重信先生(政治評論家・拓殖大学桂太郎名誉フェ口一・元自由民主党政務調查会調查役)
■日時: 合和5年2月28日(火) 18:30 20:00 講演·質疑
会場 連合会館(402 会議室) 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
主催 アジア文化研究学会

続きを読む
忘れてはならない事跡
【二・二六事件】賢崇寺【墓前八十七年祭】

昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十七年となる。
アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。
そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。
年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。
にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。
この状況を座視し続けることは天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのが昭和十一年の所謂二・二六事件である。
その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。  

続きを読む
勉強会・講演会
西山廣喜先生祥月御命日

昭和維新連盟盟主、西山広喜事務所代表、財団法人日本政治文化研究所理事長、国粋主義雑誌「日本及日本人」社主、昭和の時代までは民族系新聞で唯一の日刊紙であった「やまと新聞」

続きを読む
天皇弥栄
天皇彌榮奉祝天長節  

本日は今上陛下のお誕生日を奉祝する「天長節」である。

陛下のお誕生日を心よりお祝い申し上げると共に、朝に夕なに我が国と我ら国民と日本国の為にお祈りされている天皇陛下の大御心に深謝し、玉体の安寧と皇室の弥栄を、衷心より御祈念申し上げる次第である。

続きを読む
天皇弥栄
第百十一代天皇【後西天皇】

古典への理解も深く文芸の道に秀で和歌・連歌に堪能であられ、歌集「水日集」や「源氏聞書」「百人一首聞書」等の著作を多数残し御撰には「集外歌仙」がある。更には茶道・華道・香道にも練達で、勅作の香銘も多数ある。
しかし、治世中には伊勢神宮・大坂城・内裏などの炎上や明暦の大火(振袖火事)、地方の地震、水害などが多発した。

続きを読む
天皇弥栄
第八十二代天皇【後鳥羽天皇】

文武両道に秀で、文化芸術を愛した多才ぶりを発揮した後鳥羽天皇。

和歌の三大集の一つである「新古今和歌集」を藤原定家に命じ編纂されました。新古今和歌集に代表される歌風や歌調は、その後の和歌の作風に大きな影響を与え「新古今調」と呼ばれています。

19歳という若さで第一皇子の「土御門天皇」に譲位し、後鳥羽上皇となります。その後、「順徳天皇」、「仲恭天皇」と3代23年間に亘って院政を敷きました。

続きを読む
天皇弥栄
第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。

続きを読む